宣教への招き(2020. 7. 12)

7月12日花③

宣教への招き
説教題「 起きよ、タビタ 」
使徒言行録 9章 36節~43節
 「タビタ、起きなさい」とペトロが言うと、死んで安置されていた彼女はなんと、生き返ってしまった。まるでイエス様のように言葉を放つペテロ。昔の弱かったペトロからは考えられません。イエス様もかつてやもめの息子を生き返らせてくださいました。「若者よ、あなたに言う、起きなさい。」すると、死人は起き上がってものを言い始めた。(ルカ7:14,15)。また、ヤイロの娘に主は言われました。「娘よ、起きなさい。」すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。(ルカ8:54,55)。それが今日の聖書ではペトロが主イエスのように、「タビタ、起きよ」。するとタビタもイエス様の時のように生き返ったのです。まるでペトロはイエス様、もはや主イエスであるかのようです。一体、どうしたのか。これでよいのか。
少し前の31節に「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」とあります。ペトロだけでなく、他の弟子たちも、もう主イエスの復活、昇天、そして聖霊降臨前の彼らではないことがよくわかります。聖霊を受けて生き生きとしています。神さまの生ける恵みに生き生きと生かされていることが分かります。その彼ら教会のことを32節、41節では「聖なる者たち」と呼んでいます。キリストを信じる教会は、ここから「聖なる者たち」と呼ばれるようになりました。
そのキリスト者になり教会に加わる洗礼の儀式のとき歌われた賛美の一つがエフェソ5:14、「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」だと言われています。クリスチャンは皆、主イエスによって眠りから起き上がらされ、かつての死者のような状態から立ち上がらされ、キリストの光に照らされている者です。今のわたしたちの教会も、主の弟子たちのように振舞い、主イエスと同じ言葉を用いてよいのです。「聖なる者」として、イエス様の真似をして、主イエスの名によって立ち上がろうではありませんか。