宣教への招き(2021.1.24)

1月24日花

宣教への招き
宣教題「 宣教のはじめ 」 
マタイによる福音書 4章12節~17節

 今日の聖書の4章17節の言葉は、悔い改めの勧告と天の国の到来の宣言である。悔い改めというのは、旧約聖書の預言者たちがいずれも熱心に呼びかけた「立ち帰れ(シューブ)」という言葉であり、神の救いを前提とした重要な概念である。バプテスマのヨハネは捕縛され幽閉された。いまや預言者の声なき世にあってイエスはこの福音第一声をもって公活動を開始した。「悔い改めよ。天の国は近づいた」
それは、悔い改めの勧告と天の国の到来の宣言であって、その悔い改めと勧告の前提こそ、主イエスご自身の到来すなわち天の国の到来である。
悔い改め(「立ち帰る」)とは何か。申命記4:30(旧P.287)にこのようにある。「これらすべてのことがあなたに臨む終わりの日、苦しみの時に、あなたはあなたの神、主のもとに立ち帰り、その声に聴き従う。」まことの神ならぬ神に仕えて悪に染まり滅びに向かうところから、生きる方向を転じて、あなたのまことの神のもとに立ち帰り、神に与えられた生を生きることである。決して心情的な悔恨とか反省ではない。あなたの神である主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすこともない。あなたが主を尋ね求められば必ず神はあなたに出会ってくださる。いや、あなたが帰ってきたことを誰よりも喜んでくださる。悔い改めはすべて喜びである。命が救われるのだから。失われ滅びるところだったのが生きるのだから。もう復活の気配、復活したも同然である。あなたは必ず生きる。永遠の命を受ける。
どこへと悔い改めるのか。まことの神のもとへとである。それはより具体的にはどこにあるのか、主イエスがもたらした世界である。それが天の国である。マルコ福音書では神の国といい、ヨハネの福音書では永遠の命という。それはあなたの悔い改めの結果、向こうから近づくのではない。向こうから近づいているから、わたしたちが帰れるのだ。すでに近づいて来て、待っていらっしゃるから立ち帰ることができるのだ。なんという感謝か。イエス様のところに行こう。幸いが待っている。

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