宣教への招き(2021.02.21)

2月20日花

宣教への招き
宣教題「 わが貪欲 」 
マタイによる福音書 4章4節~11節

 今日の聖書は人間の生き方を教えている。中でも人生には必ずつきまとう苦難をどうやって克己し乗り越えるか。先んじて神の子イエスがこれを経験し克己し、神の子の道を示しつつ同様に人よ、こうして生きなさいと、身をもって示している。
はじめに飢餓は肉体の存在である人間にはふつう耐えがたい。イエスも目の前に転がっている石さえもパンに変えたい欲望と誘惑に駆り立てられたことだろう。誘惑は人の欲望の影、写し鏡である。また主はその力をお持ちである。しかしこう言われた、「人はパンのみで生きるのではない。神からの一つ一つの言葉によって生きるのだ」。人は聖書に記された神の生ける言葉、御言葉によって生きるのである。
誘惑する者は言う、すばらしい。しかし、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるとはいえ、聖書がそう読めない時もあろう、ましてや苦難の中では。ときに聖書にこうある。ここから飛び降りてみたらどうだ。神の子なら必ず救われるとある。御言葉が本当だろうかと疑がわしくなってきたのだろう。試してみればいいじゃないか。神の子の力を発揮してごらん。しかし主は「神を試してはならない」と再び聖書の言葉で誘惑者を追い払った。神を試してその力を利用すれば人は救われ幸せになれるのか。神を利用するな、試すな。疑うな、信頼せよ。絶対的信頼だ。
だいぶ悪魔も焦ってきた、では最後の手段、究極の誘惑。神の力を利用しないのですね。では、わたしについてきなさい。と言い放ち世界一の山の頂点に瞬間移動。世界中の王国の栄華繁栄を見せた。垂涎ものだ。さあ、今これらは私のものだが、私を拝むなら君にあげよう。この世の権力はすべて君のもの、君は支配者、思いのままに世界を幸せにできる。君は素晴らしい世界にしたいのだろう。イエスは言われた「退け、サタン(悪魔の親方)、ただ主なる神にのみに仕えよと書いてある」。主イエスは今はこの世は悪の支配と見切っている。今、彼を拝めば悪の支配から世界を奪還できる。だが自分も、サタンに隷属することになる。我らは主のもの。主をのみ主とすること。救いは神の時に神の仕方でもたらされる。ただ主にのみ仕えよ。

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