宣教への招き(2021.03.14)

3月13日花

宣教への招き
宣教題「 神を見る 」 
マタイによる福音書 17章1節~13節

 高き山の上 主の姿かわり
神の栄光に 光とかがやく。
モーセとエリヤは 主と語りあえば
弟子らは恐れて ひれふしあがめた。
かがやく雲わき み声はとどろく、
「これこそわたしの 愛するひとり子」。
たたえよ、み民よ、この神の不思議。
み国の栄えを 望みて喜べ。  (讃美歌21-28)
いわゆる「主の変貌」と呼ばれる今日の聖書です。前のところでシモン・ペトロが天の父に示されて主イエスへの信仰を告白しました。今度は、天の父ご自身が、イエス様を「これは神の子である。わたしの心に適う最愛の者である。これに聞け」と、言葉をもって啓示されたのです。その時、イエス様の姿は人間とは思えず、神の栄光に輝いていました。そして聖書を代表する預言者たちがイエス様と語りあっているのを、ペトロ、ヤコブ、ヨハネは見たのです。普段、寝食を共にしていたイエス様は実はこういう方だったのか!私たちも認識を新たにしなくてはなりません。イエス様を低く見てはいないか、悔い改めるべきです。イエス様は私たちの思いをはるかに超えた天の神の子なのです。その方が地を這うように共に歩んでくださっていた。
9節に「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」とありますが、逆に言えば、もう話してもよいのです。大いに告げ知らせましょう。悲しむ者と共に悲しみ、泣く者と共に泣いて下さる私たちの愛するイエス様は私たちのために死人の中から復活された、栄光に輝く神の子、救い主なのです。
人は、神を見てなお生きていることはできないと旧約聖書にあります(出33:20)。
しかし10年前のあの日から今日までも、いつも主イエスは共におられました。それぞれの10年の日々、わたしたちは神を見ていたのではないでしょうか。

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