宣教への招き(2021.06.27)

6月26日花
宣教への招き
宣教題「 立ち帰り、共に生き、分かち合い 」 
マタイによる福音書6章22節~34節
使徒言行録4章32節~37節

本日の主日のテーマは「主にある共同体」である。主イエスによって生き、主に従い、主と共に生きる共同体。今でいう「教会」について示されたい。マタイ6章のほうでは、2000年前に地上を歩まれたイエスについて来た群衆に向って主イエスが語っておられる。野外で主を囲むようにして大きな車座になって、わたしについて来なさい、との主の言葉に自分なりに受け止めてついて来た人々に「主にある共同体」がどんなものであるか、これを生ける命の言葉として語っている。
神の光に照らされて澄んだまなざしで明るく生きろよ。君たちは他ならぬ神に仕えて生きるのだぞ。そしていわば「手ぶらで」、主にのみに信頼して生きなさい。思い悩んだときは、神様のことを第一にしなさい。神の国と義を何よりもまず求めなさい。そうすれば他のものは加えて与えられるのだ。(主の祈りの1~3番目の祈りと同じ)2千前、神のご支配のもとで主イエスを中心にした共同体の姿である。
使徒言行録4章のほうでその人々は「信じた人々の群れ」と呼ばれている。彼らは心も思いも一つにし、日用の糧は所有意識なく共有して満たされていた。閉鎖的になることなく群れ以外の多くの人々と一緒に「主イエスの復活の証し」を使徒たちから聞いて、喜んで生き生きとして過ごしていたので、外部の人々からも好意を持たれていた。信者の中には一人も貧しい人がいなかった。そこでは主の愛が溢れ出て、分かち合うたびに賛美があった。しばしば「原始教会」と呼ばれている。
どちらもまだ教会とは呼ばれていないが「主にある共同体」の生き生きした様子を伝える。主なる神を賛美礼拝するところ、主の支配がそこにあり、そこに生きる人々は生きがいと誇りを回復し、共に祈り、主からの恵みを分かち合い、赦し合い、認め合い、悪を遠ざけ、主の恵みを告げ知らせ、共に生きていく。「主の祈り」の実現しているところというとよいのかもしれない。私たちに「教会」の理想を伝えている。いや、世界の理想というべきだろう。(沖縄慰霊の日・教団創立の日を前に)

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こどものための小説教
https://youtu.be/BfPFm-dHzgY
宣教「立ち帰り、共に生き、分かち合い」
https://youtu.be/VmuFAAXCbDo