宣教への招き(2021.07.04)

7月3日花

宣教への招き
宣教題「 豚に真珠 」 
テモテへの手紙一 2章1節~8節
マタイによる福音書 7章1節~6節

「豚に真珠」この言葉の出典は聖書であった。真珠=キリストの福音を、豚=異邦人に与えるな。つまり、福音という高価な宝。それこそかけがえのない、命に至る救いの力に満ちた神髄を、神様を知らない人々や、知らないから求めない人々に与えても無駄だ、そればかりか噛みついてくる。と普通は解釈されている。そこから一般に、価値が分からない者に高価なものを与えても無駄、という意味で使われる。
なので、これを宣教タイトルとすることは少し憚られた。これを目にした人は屈辱的な気持ちになるだろうか。人を食った、馬鹿にしたことを言うな、と怒られるだろうか。そっちがその気なら、こっちにも考えがある、となるだろうか。
二千年前、「山上の説教」の中のこの言葉である。キリストは、ずいぶん親しい間柄において、ご自分を慕ってきた人々に向き合って、目の前にいる近しい人々に、慈しみの眼差しで噛んで含めて語られたのだと思う。君たちは豚ではないだろう。わからないのか、そう怒るな、本当に一番良いものを与えているんだよ。こんなに愛してるんだから。それが分からないほどに君たちは度量が小さいのか。そうか今はわからなくてもいい。やがて必ず分かるから。立ち帰って、生きなさい。愛しているよ。
主イエスはここで「人を裁くな」と始められた。裁かれることのないように、と。(ルカ6:37参照)人間は他人を裁くとき何故か自分に対しては寛大である。しかし立場が変わって自分が裁かれるとき人から相当に厳しく裁かれる。誰よりも、神様に君自身が裁かれることを忘れるな。つまり問題は他人ではない、自分のことだ。
そう考えれば、他人のことを裁いている場合ではない。偽善者は自分のことは問題ないと棚に上げて人を裁く。君はどうだ、偽善者ではないだろう。そして、犬でも豚でもないだろう。神様は君を愛している。大事なのは自分のことだ。他人のことではない。あなた自身のことだ。
そうだ、私たちもしっかりと受け取ろう。キリストの言葉を。神の愛を。聖霊も豊かに注がれている。しっかりと、聖霊を心にお迎えしよう。

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こどものための小説教
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宣教「豚に真珠」
https://youtu.be/oMW43zwJ0Uw