宣教への招き(2021.10.17)

10月16日花

本日の宣教への招き 
 長かった「聖霊降臨節」も今日で終わり。私たちも終わりある者だと思います。宣教題を「安らかな生き方」としましたが、それは終わりを持つ、終わりを知る。あるいは終わりを目標にして生きる、もっと言えば、終わりから生きるということだと思います。この世の安らかさの延長を願うばかりであれば心配は絶えずやってきて、とても安らかではいられません。終わりをきちんと知り目標と希望とし、そこに安心をおくことが、かえってこの世を安らかに生きる一番のことなのです。
ヨハネの黙示録7:9~17などは人生の終わりはこういうものだ、と答えています。主にあってその苦難の歩みを全うしたものは天に引き上げられ神を讃える。この世の一切の苦しみから解き離れて、神が涙をことごとく拭って下さる。命の水の泉のほとりで、真に自由な姿で人は神と共に住む。主である小羊の御前で大群衆と天使たちと共に、まことの神を礼拝する。
人間にとってはこの世の終わりは死ですが、この世にも終わりがあります。目に見えるものには終わりがあります。終末といって、その様子がマタイ24:3から記されています。そして最後に人の子が来る、と聖書は教えています。キリストの再臨のことです。今日のイエス様のたとえの「花婿」こそ、再臨のキリストです。
イエス様が花婿だというイメージはマルコ2:19にあります。花婿であり人の子である救い主イエス様、同時に裁き主である主キリストは最後の時に来るのですが、遅いのです。しかも突然に来るのです。その時に「主よ、主よ」と言ってもとても間に合わない。お前を知らない、と戸を閉められる言われるその恐ろしさ(7:25)。準備は今から、怠りなく、それぞれ一人一人がしなければ、いざとなって他の人を頼ることは、こればかりはどうしてもできない、と教えるのです。教会の暦は今日で一区切り。さあ、次週から九つの主日がある「降誕前節」です。彼が来ます。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/xjyczVlfmQE
宣教「安らかな生き方」
https://youtu.be/R6TLu_mjt3s