宣教への招き(2022.1.30)

1月29日花

本日の宣教への招き 
今日の聖書はある絶望した男と神の子救い主イエスとの出会い。
1, 律法によって交わりはおろか誰も触れてはならない、彼は神に罰せられ汚れているとされていた男が人里離れた所にいたイエスのところに来た。一言の対話の後、イエスは彼に触れて彼を清めた。重い皮膚病についてはレビ記13章に皮膚病の規定があるので読んでほしい。とても複雑で難しいのだが、その中に重い皮膚病が出てくる。かつてはらいと訳されたが重い皮膚病はハンセン病とは違うと分かり差別を助長しないように訳を変えた経緯がある。重い皮膚病とは、悪魔的な領域から来て人を打撃する汚れのようなもので、その人を非人間化する。当時は神の罰と考えられて衛生的、祭儀的に交わりを断たれ神と人から忌み嫌われ見放され遺棄され死んだ者とされて時には一生を終えることにもなった。町で暮らすと律法違反になるので荒野のようなところでイエスが来るのを待ち構えていたのかもしれない。そして跪いて願い、声を振り絞った。イエスこそ彼を本当に心から振り絞られるようにして深く憐れんだ。イエスは本当に彼を憐れんだ。それゆえに律法の禁を破った。イエスは律法が人を非人間化する時には律法を絶対化しなかった。そしてその人を救った。人間を取り戻し回復させた。それが御心であった。男の懇願の言葉の「御心」であった。イエスは御心=神の御心を行う。彼に触れ、彼を清め、重い皮膚病を去らせ、彼を清くした。
2, イエスは男を立ち去らせようと厳しく注意した。誰にも何も話さないように沈黙命令をした。おそらく事の意味をまだ理解しない男の言動によって人々がイエスをただの祈祷師で人の願いをなんでも聞いてくれる便利な存在と思われないためだ。そんな神を人は欲しがる。本当の神の子救い主と人間の関係はそんなものではない。彼は禁を破り宣教者になるが結果的にイエスを十字架につける。復活の光の下でこそ真のイエスの理解と人の生き方がある。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/ntg2OAdQzao
宣教「新しい神殿」
https://youtu.be/mSZX-e5aKjw