宣教への招き(2022.2.13)

2月12日花

本日の宣教への招き
今日の聖書では、神の国の喜ばしい現実(リアリティー)は一粒の麦の種から30倍、60倍、100倍にもなった、というイエス様の言葉で表されています。
私は若い頃、古代メソポタミアの麦の収穫の話をなにかで読んで、野放図な農法とともに、しかしその収穫においては本当にそういうことがあることを知り、嬉しくなり、今でもしばしば人前で、「本当に一粒からこれほど実が成ることがある」と口をついてやってしまうのだが、今回の準備ではどの本を読んでもそんなことはないようで皆さんに謝りたい。どうも麦の一粒の種から収穫に至るのはせいぜい7.5倍から10倍らしい。しかし、だとするとまたまた、いや更に、このイエス様が桁外れに、飛びぬけて素晴らしいことを言っているわけで、もう最上級の嬉しさとなる。種蒔く人は、御言葉を蒔くのである。それは実に30倍、60倍、100倍もの実が豊かに実るのである、ハレルヤ! 
先週ともに聞いたあの、ともし火が升の下に伏せられようとも、つまり拒否され隠され無視され抹殺されようとも、あらわれて、公になるイエス様の命のように、神の国は、成長し、あらわになり、進んでいく。福音はたとえどれだけ道端の略奪、石路の欠乏、茨の妨害があろうとも、おのずと生きて進んでいく。一粒の種は地に落ちて死んで豊かに豊かに実るのだ。讃美歌「おどり出る姿で」(21-290)が示すように、みんながイエス様を十字架につけても・・・奮い立て、わが心よ。
この原町において一粒の種とは誰であろうか。それは田村音次郎長老であろうか、
成瀬高先生であろうか、いいや、イエス・キリストであろう。イエス・キリストの命の種が成長し、一粒の神の国の言葉の種が成長して開花しているのが今である。ぶどうの木に譬えれば今はどのへんか。あなたは? 聞く耳のある者は聞きなさい。
わたしについて来なさいと今日もイエス・キリストは招く。耳はなんのためについているのか、聞くためだ。聞いて理解するためだ。理解してそのように行動するためだ。今日もイエス様は、わたしについて来なさいと語り、招いている。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/rvpi18rIeik
宣教「種蒔きのたとえ」
https://youtu.be/e2gsCrzdyx0