宣教への招き(2022.3.13)

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宣教への招き
昨日も今日も父は働く、だから私も働くのだ、とイエス様はかつて言われた。わたしたちは、あなたは、父とキリストの働きを感じているだろうか。聖霊の力を見ているだろうか。イエス様はそれを知ってほしい、信じてほしいと願っておられる。(神様がわたしたちに、あなたになさっていることをもっともっと知ろう。主がわたしたちにしてくださっていることをもっと深く知ることができますように) 
キリストは食するいとまもないほど一所懸命に働いていた。12人を選んだのも働き手が足りなかったから。岸辺で舟の上で教えられたのも飼う者のいない羊の群れのように群衆が迫ってきたから。どの会堂にも、病に苦しみ、悪霊に取りつかれた、人々がいた。街角にも人生と生活に悩み果て立ち尽くす大勢の者たち。町の外ではこの世と神に見捨てられて叫ぶ者たちがさまよっていた。どこにいてもイエスのうわさを聞き困難を解決する力を求めて迫ってきた。イエス・キリストは神の国の言葉を語り、教え、いやし、力を尽くして仕えていた(マタイ11:5をも見よ)。
それなのに、彼は汚れた霊に取りつかれている、という人々がいた。気が変になっていると評する人々がいた。ベルゼブル悪霊の頭の力で悪霊を追い出しているサタンだ、という人々がいた。イエスは悲しんだ。心が引き裂かれた。受難節、心を引き裂かれたのは我々ではなく主ご自身だった。友のため、兄弟のために力を注ぎ尽くしているのに・・・彼は友のために断食し、兄弟のために死んだ。命を与えた。
いま、「君たちは、なぜそこまで頑ななのだ」と彼は警告しているのだ。信仰の中心地であるエルサレムの指導者が地方に巡回して物見遊山か何を見ているのか。信仰の指導者の罪を指摘し、そんなことでは国全体が滅んでしまうではないか。君たちは赦されないぞ。と悔い改めを迫っているのだ。「いかにもわたしはその根本を縛り上げ断ち滅ぼしに来た。そして救う。わたしは赦す。」
主イエス・キリストは「立ち帰って生きよ」と泣いている。さあ、どうする。
・・・イエス様と一緒に素直に生きてみよう。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/m0HjJUTOi7w
宣教「聖霊との闘い」
https://youtu.be/CXweL2IZJq8