宣教への招き(2022.5.8)

5月7日花②

宣教への招き
復活節の7つの主日は伝統的に一つひとつ名前が付けられて呼ばれてきた。本日は「ユビラーテ」、詩編66編1節から「全地よ、喜べ」という。愛するイエス様がよみがえられた喜びは、なにがあろうとも世界大の喜びである。
この喜びの季節に詩編66編を読んでみて分かることがある。「神の御業はいかに恐るべきものか。御業を仰げ」とある。神が恐るべきなのではない。神の恐るべき御業である。それは数々あれども、主イエスを十字架の死から復活させた御業こそ、その筆頭。よく考えてみれば、死者の復活とは、恐るべきことではないか。
神はイエス様を死者からの復活の初穂とされた。以降、神はどんな死人をもよみがえらせる。生きている者には生きているままで生まれ変わらせ、本当の意味で(永遠の命に)生かすであろう。神様はそんなことをなさるのであるからには、他にも何をなさるかわからない(なんでもできる)すべてのことを支配なさる主である、ということだ。この方こそ主なる神だ、ということである。
神はそういう方でありながら、一方で、私たちが何をなし、何を思い、どんな過ちをなし、どんな罪をおかそうともご存じでありながら、憐れみ深い愛の方である。赦し、見逃し、忘れ、生かし、救いを求める祈りを聞いて下さる。そのようにして我らの主となって支配する方であり、どんな敵をも滅ぼして勝利する強い方であり、裁きでなく生かす主なる愛の方なのである。私たちを、罪と死の滅びゆく行き方から贖い出し、命と恵みへと生かす。恐るべき御業をなさる神様なのである。人は他人を恐れて裁き、傷つけ滅ぼし合う。しかし人をそこから贖い出し、愛と信じることへと導き、平和と和解と喜びへと取り戻す、恐るべき御業の希望の神なのである。
人の罪を赦し、死を克服して生かし、滅びから贖い復活させる全能の神は、御子イエス様を初穂として死人の中から復活させられた。神の御業を仰げ。全地よ、喜べ。すべてのものよ、神を愛し、神に向かって、喜びの叫びを上げよ。
神は愛である。そして御子、我らの主であり兄弟であり友なるイエスは、我らを愛した。その方、主イエス・キリストは我らのために十字架につけられ死者の中から復活された。ここに愛がある。喜べ、そして互いに愛し合おうではないか。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/LW5Zf-bF4fw
宣教「新しい掟」
https://youtu.be/GZaJXllpY4o