宣教への招き(2022.7.3)

7月2日花①

宣教への招き
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)。今日の聖書では福音はどこまで進みイエスさまの証人はどこまでに至っているだろうか。神の言葉はますます広がり、バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし(12:24)、パウロ一行は第一次宣教旅行に出発だ。まず教会は断食と祈りの一致の中で聖霊の力を受けてバルナバとサウロを選び出し、神の国の宣教任務のために彼らを任命、祝福の按手をもって二人を派遣した。
「教会は宣教する」。宣教しない教会は教会でない。先々週学んだのは「教会は皆神の言葉を語る」。皆が自分に訪れた福音を語る。神の国が来たこと、イエス様が来てくれたことを語り証しする。先週は「教会は戦う」。聖霊に照らされてこの世の見えざる悪の諸霊と戦う。戦わない教会は教会でない。教会はこの世と共にあって、人々と共に生き、人を非人間化する勢力と戦う。忍耐して勝利と希望へと共に格闘する。神の武具を身に着け祈り続け、神の救いの力をもって神が来てくださるのを共に待つのである。そして今日は「教会は派遣する」だ。教会は神が世を愛されていることを知らされた群れだ。神のみこころご意志を知らされている。教会は神がなさる宣教を担う。宣教に参与する。神の選びと任命によって神の宣教を担い、神の国の宣教のためにこの世の果てまで派遣される。誰をどこに宣教するのか。
実は神様は既に決めておられる。2節にこうある。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」。ではそれどうやって知るのか。共に「主を礼拝し、断食し、聖霊が告げた」とある。これは共なる礼拝をなし御言葉の中に神のご意志を共に聞く準備の大切さを言っている。その準備の中に神は語るのである。イザヤ書6章にこうある。「そのときわたしは主の御声を聞いた。誰を遣わすべきか。誰が我々に代わっていくだろうか。」「わたしは言った、わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」これは教会のわたしたち一人一人の心得である。

こどものための小説教
https://youtu.be/EOieV2563xY
宣教「 遣わされる教会~神は誰を、どこへ遣わされるのか」
https://youtu.be/KtzQ5JxYMrQ