宣教への招き(2022.8.7)

8月6日花③
宣教への招き
「わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく 神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない(ホセア書6:6)。」
 神様が私達に求めていることは、神様を愛し、神様のことを知ろうとする心です。私達は、神様を愛するがゆえに礼拝を献げます。私達は、神様をさらに深く知ろうと願い、御言葉を学びます。神様は、この私達の神様への愛を喜んで下さいます。
「一つの霊によって、わたしたちは・・・皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。(Ⅰコリ12:13、26)  
 教会はキリストの体です。体が多くの部分から成り立つように、教会も、異なる賜物(働きや役割)があってこそ、キリストを示すことができます。私達は、時に、相手に同じ働きを求めます。しかし同じでなくて良い。同じでないから良いと聖書は語っています。まったく異なる私達が、主の霊によって、キリストの体として、教会として一つとされる。それはただ一つに集められたということではなく、共に苦しみ、共に喜ぶものとして、一つとされることに大きな意味があります。
「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにしてください。彼らも私達の内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります(ヨハネ17:21)。」 
 イエス様のこの祈りは、私たちが一つになることによって、全ての人がイエス様こそが神様から遣わされた救い主であることを信じることができると教えています。私達には多くのことを成す力が与えられています。しかし何よりもまず、私達は静まって、主こそ神様であられることを深く知る者でありたいと願います。そしてイエス様が、私の罪、私の弱さの為に、十字架で命を献げて下さった恵みに感謝いたしましょう。この小さな歩みの繰り返しの中で、主は救われる人々を、日々、仲間に加えて、一つにして下さいます(使徒2:47)。

本日の宣教者は仙台南伝道所の佐藤由子牧師です。礼拝動画は1週間のみの限定公開です。
こどものための小説教
https://youtu.be/YUP6mWQjlw0
宣教「 共に苦しみ、共に喜ぶ 」
https://youtu.be/XymZefNEAeg