宣教への招き(2022.9.25)

9月25日花②

宣教への招き  
今日の詩編122編は「幸いな人」の喜びと確信が歌われていた。どんな人が幸いなのか。それは主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人、真っ直ぐな人、憐れみ深く貸し与える人、主に従う人…彼の善い業は永遠に堪える。彼はとこしえに記憶される。貧しい人々にはふるまい与え、その良い業は永遠に堪える、とある。今日の福音書の女の人の幸いを思う。いかに幸いな人か、この女の人は。
ベタニアのある家の食事の席でその事件は起きた。その会話の中にいくつも貧しい人々、と出てくる。貧しい人々に施す、貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる。更に、ベタニアとはヘブライ語で「貧しい者の家」という意味だそうだ。
その貧しい者の村のただ中に主イエスとその一行はいた。貧しさのゆえ重い皮膚病を患ったか、貧しい人々にさえ忌み嫌われ、見捨てられたようなシモンの家だ。しかしイエス様によって癒されたのであろうシモンの部屋では、ささやかな神への感謝に溢れた食事が祝われていた。その最中に事件は起こる。石膏が粉々に砕けた音と共に一瞬にして立ち昇りハッとするほどの最上の香りが、一気に漂い天にも昇らんとするばかりに充満していく。むせぶほどの良い香りが部屋中に満ちていく。その香りが貧しい家に満ちた。何の香りか、愛の香りだ。この女の人の愛の香りだ。
憤慨した何人かが言った。この香油は三百デナリオン以上で売れる。一日の労働賃金を一万円とすると年収に相当するほど高価だ。小さなアラバスターに入ったナルドの香油は塗油をする文化の中でもヒマラヤ産の最高級品だ。それを突然、持ってきて、その壺を壊して、割り、イエス様の頭に注ぎかけ始めたのだ。たいていは息をのむ、慌てる。そして厳しくとがめるだろう。しかしイエスは言う。「するがままにさせておきなさい」近寄る子どもたちを叱る弟子たちを諭した時と同じだ。そして言う。この人を困らせるな。わたしに良いことをしてくれたのだ。葬りの塗油だ。今度は主イエスの愛がこの女の人を、一緒にいた皆を部屋ごと家ごと包む。そう、家はギリシャ語で世界のこと。今日も世界中で、福音が語られるところでは、イエス様と主イエスを愛する人々は相思相愛…永遠不滅だ。いかに幸いなことか。

こどもたちへの小説教
https://youtu.be/9YQHF3kftp0
宣教「 あなたを記念して 」
https://youtu.be/qaxcesk3wjM