宣教への招き(2022.10.16)

10月15日花③

宣教への招き  
山上の説教、かつて山上の垂訓と言い慣わされたその冒頭に八福の教えがあります。私が初めにこの言葉に接したのは母教会で主日の早朝、求道者の私が礼拝に行くとちょうど受付奉仕の準備をしていたCSの先生から「今日は八福の教えよ」と声をかけられたことでした。迷信みたいな言葉でそのときは違和感があったのですが、今思えば偉大なウェルカムの祝福をもらったのかもしれません。その方とはずうっと親交をいただいていて感謝です。今度会う時は天国での礼拝でかな・・・
カトリックでは真福八端と呼び、霊的な不滅の霊魂と知性と自由な意思を備えた永遠の命において神を見るという八つの教え。東方教会では真福九端と言って最も頻繁に祈られている祈りの一つで「謙遜の祈り」とも呼ばれます。(スマホ情報)
私は、イエス様に近づいて来て一緒に歩いているすべての人々への慰めと励ましで、内容は苦しんで迫害されるほどに求めている人々への、天の国の約束と祝福だと思います。そういう人はすべてにかかわらず、今、幸いだというのです。ここでの幸いはこの世の幸いと価値観とは正反対です。イエス様がこう祈れと教えて下さった主の祈りも御心が天になるごとく、地にもなさせたまえで、つまり天の国と地の国の支配の在り方や理想や価値観は正反対なのです。そこで地にあって天の国を求めて喘ぎ苦しんでも天の国を希望して生きる者は地の国にあっても幸いなのだとイエス様が祝福して下さるのです。愛するイエス様が共にいてそう言って保証して下さるのですから喜べるのです。その人は必ず天の国に行くことができてそこでもっと喜ぶことになる、そこでは横を見れば愛する者がおり、見渡せば大勢の仲間たちと共に、神様とイエス様に直接まみえての礼拝です。その様子は黙示録7:9以下(新約P460)のようなものなのでしょう。物凄いスケールの礼拝三昧です。
ということで八福の教えは天国の教えです。私どもにイエス様が直に語っていらっしゃいます。今日、天の御糧としてこれをいただき、我が人生で味わい、深め、「ほめたたえよう」(讃美歌21-464)と互いに励まし合って歩んでいきましょう。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)。

こどもたちへの小説教
https://youtu.be/bvMfDjLd-G8
宣教「 天の国と人の喜び 」
https://youtu.be/Y_s715hiliY