宣教への招き(2022.11.20)

11月19日花

宣教への招き
古来、教会暦の終わりの主日で終末主日と呼ばれるこの日を、私たちは収穫感謝日、謝恩日として、児童祝福を行う。深い大切な意味合いが隠されているようだ。
以下、今橋朗著『礼拝を豊かに』(P170~173)から引照しながら記します。
11月は不思議に感動に充ちた礼拝の数々を守ります。収穫の喜びと、信仰をもって死んだ人々の記念と、待降節への期待の時です。ドイツのある地方では待降節の前の主日を「死者の日曜日」として守っています。神の恵みによって人生を導かれ、主にあって世を去った信仰の先輩たちを記念しつつ、福音に感謝して礼拝することは大切なことです。教会が代々の聖徒らとともに時代を超えて存在する聖徒の交わりであるからです。
秋は稔りと収穫の季節で、各地でその季節に収穫感謝日を守ります。神の恵みのもと、勤労の結果与えられた祝福を感謝する礼拝に、シンボルとして野菜や果物を持ち寄り、それを施設などにプレゼントしたりする経験は子どもたちにも楽しいものです。しかし、喜ばしい収穫は、もっと深い人生経験との関連で理解されます。それは長い成熟の過程の最後のステージだからです。刈り取られたとき、その作物は死ぬのです。人生にとって最後に訪れる死は、神による刈り入れ、収穫にたとえられます。中世に擬人化されて登場する死は常に鎌を持っています。ヨハネの黙示録14:14では、「人の子のような方」は手に鋭い鎌を持って雲の上に君臨されます。
スウェーデンの女性作家、セルマ・ラーゲルレーフの『幻の馬車』は一つの祈りを教えるために書かれました。「主よ、刈り取る前に稔らせたまえ」と。先に召された信仰の先輩たちは、私たちに信仰の遺産という実りを残して主の御許へと召天しました。永眠者記念礼拝は、収穫感謝祭でもあったのです。
この秋、原町教会の私たちも感動的な礼拝の数々の恵みを新たにして教会暦の終わりの日々を過ごしました。さあ心を高く上げて待降節を迎えましょう。
 
宣教 「あなたは今日、楽園にいる」
https://youtu.be/IhwBWNMe5Cw