宣教への招き(2022.12.11)

12月10日花②

宣教への招き
ゼファニア書はBC7世紀前半に臨んだ神の言葉と言われ3章からなる。小見出しを見ても主の怒りの日、諸国民の滅亡、エルサレムの罪と贖い、とあり内容はほぼ神の審判と裁き。最後に少しだけ救いと回復の預言があり、そこが今日、朗読された旧約聖書である。3:14~18を読みほぐしたい。
初めに、娘シオンよ、イスラエルよ、娘エルサレムよ、と神の民のことを言葉を変えて幾度も同じ相手に呼びかけて、喜べ、叫べ、踊れと喚起している。言い換えの相手は要するにそれは私たち、この自分に置き換えて受け止めると聖書は合点がいく。理解が進む。つまり15節のお前たちとは、あなたがた、私たちのことであり、読み手、この私のことである。それがよいだろう。
そして、喜び叫べ、喜び踊れと。なぜ喜ぶのかと言えば、ヤーウェが私に対する裁きを退け、私の敵を追い払われたからだ。今や私たちの王であるヤーウェが私たちの中におられるからだ。もはや私たちに災いを恐れる必要がないからだ、という。
その日、外の人々は私たちに向かって言うであろう。「あなたがたは恐れるな、力なく手を垂れるな。あなたがたの神であるヤーウェはあなたがたのただ中におられるではないか。ヤーウェが力をもって救う。彼があなたがたの中で喜ぶであろう。彼はあなたがたの中で大いに楽しみ、彼の愛によってあなたがたを静かに平和に平安にし、新たにする。彼もあなたがたの中で喜びの歌をもって楽しむであろう。」その彼が、ついに来る。そして王ヤーウェとあなたがたの交歓。これは救い主である彼が来て、彼と私たちの愛の交歓のゆえに、喜べ叫べ、踊れ、というのである。
18節からは別に語られて編集された言葉だが、なぜ神があなたがたと共に喜び、祭りのように楽しむのかと言えば、神ヤーウェご自身が、遠く離れていて苦しめられていた者たちを集めるからだという。戦争、捕囚、罪、苦しみ、悩み、そこからの叫びを、彼が贖う。ヤーウェは彼らを解放し、解き放ち、回復し、帰郷させ、私たちは、一つになり、救い主は共に宿り、そこを、喜びと楽しみの叫びに変える。
その人々を集めるために荒れ野で叫ぶ声がする。さあ、私たちも立ち帰るぞ。

こどもたちへの小説教(イエスさまのお生まれ)
https://youtu.be/caSJNSHP1zk
宣教 「娘よ、喜び叫べ」
https://youtu.be/uESAr_ur-eE