宣教への招き(2023.3.19)

3月18日花

宣教への招き     
主の栄光と神の顔:出エジプト記33:18~23(旧約150頁)モーセが、「どうかあなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」神の顔を人は見ることはできない。けれどもイエス様の顔なら、人々は見ても死ななかった。神は峻厳の顔と優しい恵みの顔をお持ちになっていて、イエス様は神の過ぎ越しの優しい顔なのだ。
変貌の山と雲(神の臨在):出エジ24:15~18(132頁)モーセが山に登って行くと雲が山を覆った。主の栄光が山にとどまり、7日目に主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には雲の中の山の頂きで燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登り、40日40夜、山にいた。
モーセの顔の光:出エジ34:29~35(152頁)モーセが山を降ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々すべては恐れて近づけなかったが、モーセが呼びかけると彼らは戻ってきて近づき、彼はシナイ山で語られたことを彼らに命じた。モーセは語り終えたとき、自分の顔に覆いを掛けた。モーセは主の御前に行って主と語るときはいつも覆いをはずした。出てくると命じられたことをイスラエルの人々に語った。人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで覆いを掛けた。
わたしたちは今や礼拝において(主のほうに向き直れば)顔覆いを取り除かれて自由に主にお会いして御言葉を聞くことがゆるされている。イエスの御顔は暗闇に光あれ、と言われた神の言葉と栄光のように、人を生かす命に輝く福音の光を放っている(Ⅱコリ3:12~4:15)。この光を与えられた私たち顔を輝かせて生きよう。

こどもたちへの小説教(レントについて)
https://youtu.be/0YRDrZEk-Hs
宣教 「イエスの顔の光」
https://youtu.be/JN8_ArYYxp4