宣教への招き(2023.4.2)

4月1日花③

宣教への招き     
 受難週の木曜日、最後の晩餐の後で、一同は賛美の歌をうたってからオリーブ山へ出かけました。詩編116編(旧約956頁)だったと言われています。王ダビデの権威により編まれたこの詩編の作者である「わたし」は、ある詩人であり、ダビデであり、イエスであり、わたしたちである。そう重ね合わせて読むことができます。もちろん最後の晩餐のこの時も、イエス様はかつての詩人の心と言葉に今の御自分を重ね合わせていたのです。
「救いの杯を上げて主の御名を呼び、満願の献げ物を主にささげよう。」(13,14節)
救いの杯とは主イエスの血による新しい契約であり、満願の献げ物とはすべての人のためにその身を裂かれた主イエスご自身だと思います。イエス様は今日も十字架の上でこれを祈り、これを叫びこれを私たちに語ります。今、復活の主イエスがこれを私たちに語り、聖霊の光に心を照らされてわたしたちもこの詩を救い主イエス様とともに心から唱和することをゆるされています。促されて目を上げれば、十字架の死からよみがえられた復活の主イエスが自らを捧げて差し出しておられます。
棕梠主日です。わたしたちも感謝の捧げ物を捧げて主をお迎えしましょう。
「十字架上の七つの言葉」というものを思い出しました・・・
受難週に入り、復活日までの1週間、十字架の上のイエス様の発せられたこれらの言葉を聞き、思いを巡らせ、祈り、黙想することがゆるされています。
父よ、彼らをお赦しください。自分がなにをしているのか知らないのです。
はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。
婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です…見なさい。あなたの母です。
わが神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。
渇く。
成し遂げられた。
父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。

こどもたちへの小説教(シュロの日)
https://youtu.be/RFo8RtCpMbU
宣教 「イエスの献げもの」
https://youtu.be/oRH_59zHrcg