宣教への招き(2023.5.14)

5月13日花③

宣教への招き     
今日は「百人隊長の僕の癒やし」。「ひと言おっしゃってください。そしてわたしの僕をいやしてください」の信頼・・・高位の軍人で異邦人、ユダヤ人からすれば罪人との自覚、謙遜。人望厚く、神と人への誠実。財も捧げ、イエスの力への絶対的服従。こんな信仰がなければ救いは来ないか・・・するとどうだ、ローズンゲン日々の聖句に「私の手は短すぎて、贖い出すことができず、私には救い出す力がないと言うのか。」(イザヤ50:2)と語りかけられた。お前は本当にわたしを信じているのか?とわたしは問われ迫られ反省した。続けて「何故、私が来ても、だれもいないのか。呼んでも答えないのか。」(同)と。そうだ、主は復活して来てくださっているではないか。百人隊長の時は遠隔治癒奇跡であった。わたしたちには復活の主がこんなに近くに来てくださっている。そうか、たしかにただひと言で、十分である。ありがとう神様、ごめんなさいイエス様。これで十分、これで安心。
詩編34に目を転ずる。ダビデの詩、例によってイエス様が語ってくださる。十字架でお苦しみのイエスが語ってくださる。「どのようなときも、わたしは主をたたえ、わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を讃美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう」もう胸が苦しくなる。感謝で主の恵み深さに胸が苦しくなる。復活の主が、共に、ひとつになって、と呼びかけてくださっている。私たちは御もとに身を寄せて生かされる。立ち上がらされ、わたしはイエス様より苦しくないことがわかる、生き始める。もっと苦しい人々がいるだろう。わが友よ、主は救いのために戦っておられる。生きて命を差し出しておられる。11節に「若獅子は獲物がなくて飢えても、主に求める人には良いものの欠けることがない。」とある。たとえ願った通りに与えられなくても、必ず、報われます。大丈夫です。
神様を、イエス様を深く信頼して祈り続けましょう。主はわたしたちの信仰や祈りを無視することはありません。かえって必ず報いてくださいます。主は生きておられます。

こどもたちへの小説教(ザアカイ)
https://youtu.be/Wqq8nQ1KBOs
宣教 「信仰に報いる主」
https://youtu.be/CxoCi2lxo_Y