宣教への招き(2025.2.16)降誕節第8主日

2月15日花②

宣教の招き 心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
テモテへの手紙一4:8に、「信心は、この世と来たるべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。」とあります。
わたしたちの世代は物が豊かになりましたが、心は貧しくなり、この信心ということも忘れてしまいました。なんとなく自分たち人間だけで事足りる、神仏なんていらない、何でもできる。信心なんて、できない者のものだ、というくらいに神仏を馬鹿にし、世の中を馬鹿にし、できない人を馬鹿にする。なきものにする。そんな愛と真実のない世界になってしまいました。信心を忘れているからでしょう。
信心は、愛と真実を求め、正しさを求めて希望を生みます。今この世ではそれらを得られない。貧しく、飢え、悲しみ、泣き、苦しみます。けれども、なお求めることが大切です。神仏は信心する者を慰め励まし、生きる命と力を与え、与えられた者はその恵みを分かち合うところに、喜びと希望の光が差し込み、みんなで励まし合って生きることができる。そこはもうこの世の天の国ではないでしょうか。
心の貧しい者たちは幸いである、と始まるイエス様の八福のお教えは、そういう天の国の教えです。今、貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々は、幸いである。なぜならあなたがたは必ず満たされるから、天の国はあなたがたのものだ、と宣言して教えておられるのです。
聖書に親しむクイズ・最後の晩餐のその後から出題します。
問題1 ゲッセマネの祈りに伴われた弟子は誰だったでしょう?
1. ペトロとヨハネとユダ
2. ペトロとヤコブとヨハネ
ペトロとパウロとアンデレ    関連聖句 マルコ14:32~42
 問題2 イエスは弟子たちから離れて、何度、祈りに行きましたか?
1. 2回
2. 3回
3. 4回              関連聖句 マルコ14:32~42

宣教「イエスさまのたとえ」
https://youtu.be/FG59CSnaQPA