
宣教の招き
最近、「礼拝」という言葉を使うべきか、他の言葉に変えられるか、と考える場面に出会った。礼拝とは普通、らいはいと読むし、その意味は文字通り、神仏や尊いものに対して礼を尽くして崇め拝する(おがむ)こととされる。そこでわたしは「集まり」でよいかと考えた。わたしたちの礼拝は新約聖書ではレイトゥルギア、民の業(務め、奉仕、仕事)という。旧約聖書ではカーハール、集まり(集会)と呼ばれてきた。現代英語ではワーシップ=最高の価値を帰することだし、サービス=仕え、奉仕することである。つまり民が集められ、なすべき務め・仕える業をするように集められ、どこでもそれをするように散らされて行く集まり、それが礼拝である。ということは「集まり」でよかろう。
一方で、わたしたちが民というと、市民とか民族とか民衆とか国民とか限定的な人々が連想される。しかし神の民はこれらを包んで超えるものだ。人間的相違を包み超える「集まり」。子どもと共に守る礼拝も本来的礼拝だ。(マタイ19:13~15)
聖書に親しむコーナー~クイズ・「見よ、兄弟が共に」旧約聖書、詩編から~
問題1 「兄弟が共に集まる幸せ」に例えられていないものは何でしょうか?
1.油
2.蜜
3.露
関連聖句 詩編133:1~3
問題2 詩編133編に出てこない、地名は、どれでしょうか?
1. ヘルモン
2. シオン
3. エフラタ
関連聖句 詩編133:1~3
本日は家族礼拝のためこどもたちへの小説教はお休みです。
宣教 「父なる神さま」
https://youtu.be/uZqPvOnwxe4
9 6月 2024
宣教への招き(2024.6.9)花の日子どもの日家族礼拝
宣教の招き
最近、「礼拝」という言葉を使うべきか、他の言葉に変えられるか、と考える場面に出会った。礼拝とは普通、らいはいと読むし、その意味は文字通り、神仏や尊いものに対して礼を尽くして崇め拝する(おがむ)こととされる。そこでわたしは「集まり」でよいかと考えた。わたしたちの礼拝は新約聖書ではレイトゥルギア、民の業(務め、奉仕、仕事)という。旧約聖書ではカーハール、集まり(集会)と呼ばれてきた。現代英語ではワーシップ=最高の価値を帰することだし、サービス=仕え、奉仕することである。つまり民が集められ、なすべき務め・仕える業をするように集められ、どこでもそれをするように散らされて行く集まり、それが礼拝である。ということは「集まり」でよかろう。
一方で、わたしたちが民というと、市民とか民族とか民衆とか国民とか限定的な人々が連想される。しかし神の民はこれらを包んで超えるものだ。人間的相違を包み超える「集まり」。子どもと共に守る礼拝も本来的礼拝だ。(マタイ19:13~15)
聖書に親しむコーナー~クイズ・「見よ、兄弟が共に」旧約聖書、詩編から~
問題1 「兄弟が共に集まる幸せ」に例えられていないものは何でしょうか?
1.油
2.蜜
3.露
関連聖句 詩編133:1~3
問題2 詩編133編に出てこない、地名は、どれでしょうか?
1. ヘルモン
2. シオン
3. エフラタ
関連聖句 詩編133:1~3
本日は家族礼拝のためこどもたちへの小説教はお休みです。
宣教 「父なる神さま」
https://youtu.be/uZqPvOnwxe4