今週の説教要旨(2016.10.30)

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説教題「何を神とするか」
イザヤ書44章6節~17節

 紀元前587年、バビロンによって南ユダ王国が滅ぼされてしまいます。捕囚の民は、国が滅亡してしまって、長い年月が経過し、自分たちの神様はどうなってしまったのだろうかと不安を感じるようになりました。そのような人々に、神様が語りかけるのです。これが第2イザヤのメッセージです。
イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。/わたしは始めであり、終わりである。/わたしをおいて神はない。(6節)
 神様が示された救いの約束は決して忘れられていたわけではないのです。一度は滅ぼされたイスラエルの民も、神様にゆるされ、神様の憐れみによって回復の道を歩むのです。私たちは神様を二の次、三の次にして、いつのまにか神様でないものを神様としてしまいます。しかも、それによって、ますます不安に陥るのです。しかし、そのような私たちを神様はお見捨てになりません。私たちの救いのために、自分のひとり子であるイエス・キリストを罪の身代わりに差し出されたのです。このことに感謝してまいりましょう。