宣教への招き(2021.08.22)

8月21日花

[本日の宣教への招き]にかえて 
牧師 寺田進(8月13日夜記す)

詩編113編はこう始まっています。

ハレルヤ。
主の僕(しもべ)らよ、主を賛美せよ。
主の御名を賛美せよ。
 
土曜日は主日礼拝に備える日、会堂清掃奉仕に来る方々と小島誠志さんの「朝の道しるべ・聖書断想366日」から学び祈ります。何年も繰り返し用いることができます。8月22日のところが詩篇113編です。そこで小島先生はこう語っています。

  主の僕(しもべ)とは、主に仕える者のことであります。
主に仕える者が主を賛美し、ほめたたえるのであります。
仕えない者がつぶやくのであります。

土曜日に清掃に来て下さるメンバーと共に祈りを合わせる時、わたしはこの方々が本当に主にあって喜んでいらっしゃり、主を賛美している、ほめたたえていることを知るのです。この方々がそれぞれにお受けになった主の救いの御業を証ししていらっしゃることを見て、共に感謝し賛美して御名を崇めるのです。そして、この方々がなさっていることは主に仕えていらっしゃることだ、と分かるのです。わたしも、主が、一人一人に仕えてくださったそのことを覚えて、限りない賛美の列に加えられます。主に仕え、賛美するそれこそ礼拝(service)です。わたしたち救われたものにとっては生きることそのものでもあります。私たちの生は、感謝から感謝へ、賛美から賛美へ、信仰から信仰へと導かれていくのです。生ける神に感謝。

今週のこどものための小説教と宣教は信徒奨励のため公開をお休みします。