宣教への招き(2022.3.6)

3月5日お花①

宣教への招き
12日、灰の水曜日からレントが始まりました。受難節、四旬節とも呼ばれて、ここ20年ばかりは復活前第何主日という主日の呼び方も定着した感があります。復活前と聞くとなんとなくイースターが恋しくて春を待つのも希望に明るく思われるかもしれませんが、復活のためには十字架を背負い、十字架にかけられ死にて葬られなければなりません。この期節は受難節であることに変わりがないのです。私たちの救いのために主イエス・キリストがご受難された、そのご受難に私たちも身を合わせるべきです。そこで受難節は、悔い改めと断食の時であり、主のご受難と十字架による恵みに深く感謝することを通して新しくされる時だと言われています。
主イエスは私たちのために、その苦しみと十字架の死によって、私たちの罪を償い滅びから命を贖い、私たちを救って下さいました。それは、神が私たちの神であることを思い出させるためです。私たちが本当は主のものであることを思い出させるためです。それまでは人間には思い出せなかった。思いもよらなかった。どうしても悟れなかった。人間は立ち帰ってこそ生きるなどとは。それが人間の罪咎です。  
しかしそのような私たちを子と呼ぶのを恥となさらない神様は、御子イエスを長子として罪のこの世に遣わして、私たちを神の子と呼んでくださいました。
主イエスは私たちを兄弟姉妹と呼ぶを恥とせず、喜んで「兄弟」と呼ぶために私たちのところに来てくださったのです。そのために主キリストは血と肉を備えて数々の試練を受け、苦しみを通して私たちと同じくなって下さいました。そのご受難と死を通して、私たちを死の恐怖の奴隷であることから解放し栄光へと導いてくださるのです。いまや私たちは主にある兄弟姉妹を得ています。私たちは友を得ています。私たちの父は神さまであり、主イエス様は私たちの長子です。アーメン。
11年前の受難節に起こった東日本大震災と核事故による被災は、いま、私たち皆が互いに兄弟と呼ぶための神さまからの招きではないかと思わされています。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/7HLgJ33e3iE
宣教「兄弟と呼ぶために」
https://youtu.be/0wlfiZdFMIc