宣教への招き(2022.6.5)ペンテコステ

6月4日花①

宣教への招き
本日はペンテコステ、聖霊降臨祭です。おめでとうございます。
エルサレムの一つの家でイエス様に言われた通りにしていたお弟子さんたち。みんなが集まってお祈りをしていると、突然、神さまから約束の聖霊が与えられて、みんなが神の偉大な言葉を語り出した。それを聞いて世界中から来ていた人々が共感して、神をほめたたえ、つまり、世界のみんなに讃美と証しと礼拝が広がった。そんな宣教共同体にして礼拝共同体が生まれたというので、お話のタイトルは「教会の生まれた日」としました。その様子が今日の聖書に記されていました。
突然の聖霊降臨は、神の時を表すのでしょう。約束どおりでしたが、人々にはいつだか、どんな形でかはわからない。神さまが決めることだったのです。でも神様を信じてイエス様の言う通りにしていた。そこに、突然、旧約聖書で預言されていたことが本当に出現したのです。そしてそれは「終わりの時に、すべての人に」ですから、今の私たちにとっては、すでに起こったこと。聖霊はすでに来たのです。そしてそれは今日も降り注ぎ続けています。一方で、突然に起こることですから、私たちも、いつも、聖霊よ、わたしに来てください。わたしたちに来てくださいと祈っていいのです。神の時があって、必ず聖霊を受けることができるでしょう。そして、もっと下さい、と祈ってもよいのです。神はイエスの名によって祈ることを求めておられ、喜ばれ、それを必ず与えられるのですから、遠慮は止めましょう。
さて、聖霊は鳩のように降り、恵みの雨のように降り注いでくると思っていたら、これは突然の轟音、神さまからの激しい風のような響きの中に炎のような舌が一人一人に出現したのです。あまりに不思議です。舌は「言葉」とも訳せるので、これは神の言葉です。すべてを創造し変革し新たに生かす神の言です。神の言ですから、イエス様ご自身です。イエス様ですから人を生かす永遠の命の言葉です。また言は神であったのですから、それは神ご自身なのです。そして神は愛ですから、それは神の愛なのです。これを弟子たちは受けて語り、語っては受け、分かち合いました。
これが教会というものです。わたしたちのことです。感謝と讃美を捧げましょう。

今週は家族礼拝、こどもとおとなが一つになって捧げる礼拝です
宣教「教会が生まれた日」
https://youtu.be/eK8CI3aTyaw