宣教への招き(2022.10.30)

10月29日花②

宣教への招き
ノアの物語は創世記6章から始まる。主なる神は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。それでノアに巨大な箱舟を作らせ、ノアとその家族とそれぞれの生き物の一番いずつを箱舟に入れ、あとは天の窓を開き大いなる深淵の源を裂いて洪水を起こし滅ぼしてしまおうとお考えになった。洪水は地球を覆い1年間大地は乾くことがなく、命の息と霊のあるものはことごとく息絶えた。ノアたちが箱舟を出るのをゆるされたとき彼らは祭壇を築き礼拝をした。その時主なる神は「人に対して大地を呪うことはすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。わたしはこのように生き物をことごとく打つことは二度とすまい。」と御心に言われ、その契約の永遠のしるしに雲の中に虹を置いたのである。
虹を見上げるたびに神さまを思い出し、その深い憐れみと私どもへの永遠の愛を感じたい。神さまは優しい。滅ぼすといって怒りながら自ら造った愛のゆえにそうはどうしてもできないのだ。それで自ら救いの手を差し伸べてしまう。愛の決意は考え直すのだ。失楽園の時もイチジクの葉の代わりに皮の衣を着せられた。殺人を犯したカインが追放される時も彼を誰も打つことがないようにしるしをつけられた。イサクの代わりに雄羊を示され(創世記22章)、出エジプトの夜には過越しの小羊の贖いのしるしが民を守った(出エジ12章)。嘆き悲しんでいる人にも額に十字架の印をつけて命を贖った(エゼキエル書9章)。神の小羊イエス様の十字架の血による私どもの罪の贖いはどうだ。神の顔を見れば滅びるがそうならないように岩の裂け目に隠しその御手でご自身が通り過ぎるまで覆ってくださる(出エジ33章)。
そもそも聖書では大水や海は混沌を表しこれを超え克服することを勝利としてきた。天地創造や出エジプトの葦の海の奇跡を見よ。ある牧師が言うようにこれは神による新しい創造と捉えるができる。そうだ、神がしてくださる。人にはできないが神にはなんでもできる。神が新たに創造してくださるのだ。そして罪深さは人には償えないし贖うことはできないが神には何でもできる。
私は洪水の話も神の過越しであり、主イエス・キリストの十字架の贖いと復活のことを語っているのだと思う。虹は神様からの永遠の守りの契約のしるし、恵みの贈り物、つまり新しい生き方、希望と信仰と愛のしるしなのである。
 
おはなし「 ノアと虹とわたしたち 」
https://youtu.be/JCLk7Y7e3oc