宣教への招き(2023.7.23)

7月22日花①

宣教への招き       
主イエスは、宣教第一声こう告げた。
「主がわたしを遣わされたのは、
囚われている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4:18)
そして、主イエスの宣教も半ばにはこう言われた。
「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知されている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(ルカ7:22、23)
こうした言葉を前置きとして、実にこれらの至言に導かれて、今日の聖書においける頂点として、「汝の罪は赦されたり」と、罪の赦しの恵みが語られている。
主の恵みの年を告げる、はイスラエルでは7年ごとに農耕をせず土地を休ませた。それを7回繰り返した翌年をヨベルの年と呼び、人手に渡っていた嗣業の地が元の所有者に無償で戻され、負債は帳消しにして赦され、奴隷は解放された。主イエスの到来と罪からの解放は、新しいヨベルの年の喜びを告げるのである。こうして前述ルカ7:22に記されたメシアとして主の恵みの年を告げる主イエスの数々の御業の中に、その核心には罪からの解放=罪の赦しがあるのである。
主イエスは獄中のバプテスマのヨハネに語り聞かせたように、今日わたしたちに語る。「汝の罪は赦されたり」これはなんという幸いの宣言であろう。そして「汝の信仰なんじを救へり」、今のあなた、今日の私たちへのイエスの言葉である。
さあ、どう受け止めるか。
信じよう、わたしにつまずかない人は幸い、と主イエスは今日も招いておられる。この方は私の罪を赦して救う生ける神、救い主、主イエス・キリストなのである。

こどもたちへの小説教(すんばらしき主イェスの)
https://youtu.be/I-JUNqXHcm0
宣教 「キリストの心」
https://youtu.be/TTfQuf3bRGc