宣教への招き(2023.8.6)

8月5日花①

宣教への招き       
わたしたちは8月6日の広島原爆の日に一番近い聖日を「平和聖日」としている。日本基督教団の「平和聖日」制定は1961年に西中国教区の教会総会で、広島原爆投下によって被爆した信徒がた牧師たちによって発議され、翌年1962年に日本基督教団総会で決議された。1945年8月から17年を経てのことだった。制定までずいぶん時間がかかった印象だが、ビキニ環礁での水爆実験事故により第五福竜丸の乗組員や実は多くの人々が被ばくした問題で1954(昭和29年)頃からようやく国民的話題としてはばかられない機運になり、被爆者のかたがたもようやく勇気を振り絞り立ち上がったと初任地の広島で当の諸先輩がたにうかがった。
わたし寺田は昭和34(1959)年に生まれた。もはや戦後ではないのかもしれないが上野公園の傷病兵姿の人々を思い出す。父から戦争の話を聞いて育った。父は銃剣を手にボロボロの学生服姿の写真を見せながら、もう1ヶ月もすれば出陣だった、日比谷公園に遊びに行けば、ここはこうだった、二重橋の前の広場でみな正座して謝って泣いた、やってみな、とか、青空のもと教科書の墨塗り作業などをしながら、終戦時の価値観転換で無頼になった、とか色々と話をよく聞かされた。   
わたしは広島の教会から東京の教会に戻り、ふと父の話を思い出した。小学校の隣のよく遊んだ公園は、父が東京大空襲で黒焦げになった遺体を穴を掘って投げ込んで処理したというものだ。調べると1500体だと知って震えた、祈った。その足で夢の島に捨てられていたのを保存し記念した第五福竜丸を見学に行った。
師であるイエスは十字架で贖罪死を遂げ、復活して平和をもたらした。パウロはこのキリストは私たちの平和であると高らかに宣言し、使徒たちは平和の福音を宣べ伝え、平和の福音を告げる準備をしなさいと派遣する。(エフェ2:14ff,6:15)
 「福音」(ユーアンゲリオン)とは良い喜ばしい知らせだ。もとは戦争に勝利した知らせを意味する。だが、イエス・キリストは神と人、人と人とが戦争をしている罪を一身に負い、生け贄としての十字架の死をもってもろともに葬り去り復活され戦争を終結させ、平和を宣言された。平和を告げ、宣べ伝え、平和を実現しよう。

本日は家族礼拝です。こどもたちへの小説教はお休みです。
お話 「平和があるように」
https://youtu.be/FZFZtqMqKpQ