宣教への招き(2023.8.13)

8月12日花②

宣教への招き       
今日の聖書は主イエスのたとえ(隠喩、暗喩)による神の国を待つ教えである。
39節から行くと、「家の主人は、泥棒がいつ来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。同じように、【人の子】は思いがけないときに来る。泥棒のように突然に来る。だからあなたがたも、腰に帯を締め、ともし火をともして用意していなさい。日は沈み、今や夜だ。光が見えない暗闇だ。主人が婚宴から帰って来て門をたたくとき、すぐに開けようと待っているようにしていなさい。そのしもべたちは幸いだ。それは真夜中かもしれない。明け方になるかもしれない。目を覚まして待っているしもべたちは幸いだ。はっきり言っておく、主人は彼らのために即座に食事の用意をし、そばに来て給仕をしてくれるであろう。彼は来る。突然に来る。今は闇、しかし必ず、闇を超えて来る。ともし火をともしていなさい。彼は来て、ちょうど君たちが迎え入れたなら、彼は即座に食卓を開いてくださる。
終わりのときに神の国は、彼の到来とともに必ずしかし突然に来る。主は近い。だから目をさましていなさい~使徒信条の再臨のところを思い出してみよう。
わたしたちは、救い主の彼に「早く来てください」と願っているだろうか。それとも来ないほうがよい、と思っているか、あるいはいつでも準備はできているか、それとも、漫然として来ることさえ忘れてしまっているか。~彼は裁き主である。
これらはいわゆる主イエスの再臨の信仰を促しているといわれる主の言葉である。主は近い、主の来臨を待つ切迫した終末の感覚を持ちなさい。救い主を待ち望んで生きなさい、というのである~この世の支配者・完成者は、決して人間ではない。
42節、主人が召使いを立て、時間通りに食べ物を分配させる忠実な賢い管理人がいる。47節、主人の思いを知りながら、主人の思いどおりにしない僕がいる。
わたしたち人間は地球の主人の思いを知り、地球の皆を愛し、食べ物をよく分配し、よく家を管理することを託されている主人の召使いではないか。主を待つ信仰は世界の平和に通じている。世界の環境問題、食糧問題の改善解決に通じている。~あなたがたの富のあるところにあなたがたの心もある(34節)のだ。

こどもたちへの小説教(主イェスとともに)
https://youtu.be/qp-NnBlccTM
宣教 「突然に来る」
https://youtu.be/0qfCCIiY40I