宣教への招き(2023.8.20)

8月20日花①

宣教への招き       
安息日の会堂で教えていたイエス様は18年間も病の霊に取り憑かれている女を見てその病をいやされた。律法違反と咎められても主イエスはまっすぐに彼女を呼び寄せいやしの言葉を語り、曲がった腰に両手を置いて癒やされた。彼女はサタンの縛りから釈放・解放され、解き放たれた。女は神を賛美し、群衆はこぞって喜んだ。
安息日律法遵守の名のもとに悲しくも残忍な偽善がまかり通っていた。正義=神の義の名のもとにサタンの手下となって悪が行われていた。ここに主イエスに敵対するものとしてサタンに魅入られ取り込まれサタンの手下に成り果てた会堂長、反対者たちがいる。このサタンとは詩編119:78の「偽りによって迷わせた傲慢な者」であろう。イエス様の言われたサタンという言葉は旧約聖書にしばしば登場するサタンと同じで「敵対者(天的存在)、神に告訴する者」だ。神に告訴する敵対者だ。決して人を直接的に滅ぼしはしない。そんな力はないがしかし、私たち人間に様々な形で取り入って神のみこころに敵対する悪に誘い、人が悪に染まったときに神に人を訴える悪魔的な誘惑者であり試みる者だ。
今朝読んだ詩編119編は神の言葉である律法讃歌である。今日のところも一節ごとに律法=神の言葉の言い換えが8つある。それは「戒め」「御言葉」「裁き」「仰せ」「律法」「命令」「定め」「掟」である。輝かしくもかぐわしくもわたしたちを救い、生かす泉の水のような恵みの言葉である。それは命に導き命に至らせる命の言葉であり、厳しいばかりのいかめしい人間的な戒律ではない。この御言葉の話者「わたし」はイエス様なのであり、「あなた」は主なる神である。今日の私たちはこれを聞いて喜び、これを語る主イエスを見て喜ぶ。「あなたを畏れる人はわたしを見て喜びます」(74節)。主イエスは語り、私たちを神様へと招いている。
サタンは今日もおのおの各自の心にまた現実に迫ってくる敵対者である。サタンに対して神の言葉によって打ち勝った主イエスに従って歩こう。御言葉によってサタンの縛りから私たちを解き放ってくださる主イエスと共に進もう。主イエスは命の言葉として来てくださっている。御言葉によって御言葉と共に進もう。

こどもたちへの小説教(アブラハムには7人の子)
https://youtu.be/HSB6DXFAbTM
宣教 「主イエスと共に」
https://youtu.be/zKFznqLZdXU