宣教への招き(2023.10.22)

10月21日花②

宣教の招き     
 「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」。ザアカイの家でのイエス様のお言葉に弟子たちを含めた人々はうっとり聞き入っていたことでしょう。しかしその余韻を打ち消すかのように今日のたとえ話が語られました。それはそれで終末に関する主イエスの教えなのでしょうが、不気味なまでのものがあります。まずその不気味さを解除して話の筋をすっきりさせてみてはいかがでしょうか。14節、27節。実はこれは公然とした歴史的事実でした。ここを飛ばして読むのです。
主イエス誕生のときのユダヤ人の王はヘロデ大王。その大王の死後、これまた残忍さで知られる長男アルケラオは、はるばるローマまで行って皇帝アウグストゥスからユダヤ、サマリア、イドマヤ地方の領主になることを取り付けます。正式には王ではありませんが、今度はこれに反対したユダヤ人が皇帝に直訴に行きます。その人々をアルケラオは殺害してしまったのです。
こうしたお互いに知っている事実を前提にして、今日のたとえは話されました。さあ、14節、27節を飛ばして読んでみましょう。不気味さは解除されたでしょうか。えっ?意味が通って、かえって最後の26節、27節が自分への御言葉として迫って来ました? はい。この王がイエス様でなくて、神様だとすると、もっと怖いです。
それにしても皆さん、このアルケラオのせいで生まれたばかりのイエス様はナザレに移り住むことになりました。マタイ2章に記されているイエス様誕生後のお話です。ヘロデ大王はベツレヘム周辺の2歳以下の男児を一人残さず殺せと命じたとき、父ヨセフは夢のお告げで子と母を連れてエジプトに逃げて死を免れました。次に「ヘロデは死んだからイスラエルに戻りなさい」とお告げがありましたが、「アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」(22,23節)とあります。ああ、クリスマスの足音が‥
私たちすべての者の今と将来の中心にクリスマスが光を放っているようです。

こどもたちへの小説教(タラントンのたとえ)
https://youtu.be/5UcsqlPXrUQ
宣教「神の国のたとえ」
https://youtu.be/l9DdMJ3K93Q