宣教への招き(2023.10.29)

10月28日花③

宣教の招き     
 今日の詩編から~私たちの目の前に広がるこの自然、あらゆる生物の営みを見るに森羅万象は他ならない神の定め、理(ことわり)を物語っている。私たち人間はこの創造主の求めていらっしゃる生き方、つまり信仰に生き、恵みに即応して生きてこそ幸せに輝いて生きられるに違いない。それ以外にふさわしい生き方はない。
今日の旧約聖書から~創世記の初めを読むと、神は世界の混沌と闇の直中に「光」を創り出し「秩序」を与えた。それぞれの被造物はこの「秩序」にかなってこそ生き生きと生き、人間は神に似せて、これらに「仕える」(=治める=支配する(26、28節))ように創られた。こうして被造世界は、極めて良かった(31節)。そんな世界、創造主のもと、人間もこの被造世界の秩序にかなってみ心のとおりに良く、美しく、素晴らしく生きられれば良かったのだが、人類の歴史を自分事としてを振り返るに、しなかった、できなかった。人間は、被造世界と人の世を暗闇とした。
今日の新約聖書~ここに、この闇に創造主・神は言である御子を遣わした。いわゆる「先住のキリスト」を遣わした。神の意志、み心が事件を生んだのである。「初めに言があった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」これは、神が言によって再創造して、あの初めの秩序と良さを全被造世界に回復する、という意志であろう。この、神の言である御子こそ暗闇で輝く光であった。 この、わたしたちの闇に、神が遣わしてくださった光輝く御子こそ福音である。 
「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」最後の言葉は十字架を意味するのであろう。イエス様は世の光であり、命であるのに、わたしたちの暗闇はその命の言(理)である彼を理解せずに十字架につけて死に追いやり闇に葬ってしまうのである。今も、わたしたちの暗闇は彼を理解し続けない。しかしそこにも光は照り輝き続ける。イエス様の復活の光であり、御顔の輝きであり、あの神の「光あれ」の響き渡る命の御声、再創造への招きである。決断をもって、わたしたちは悔い改めをもって立ち帰ろう。

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