宣教への招き(2023.11.5)

11月4日花①

宣教の招き     
 賛美歌21には聖徒の日・永眠者記念日の賛美歌が7つもあります。379、380の歌詞を読んでみましょう。なぜこんなにも感動的なのでしょう。
この世にあかし立てて 聖徒らは憩いにつく。主のみ名をほめたたえん。ハレルヤ。 主は盾、わがかくれが、戦いをみちびきたもう。闇夜の光なれば、ハレルヤ。
聖徒のあとにつづき 勇ましくたたかいぬけ。冠かちとるまで、ハレルヤ。 われらは弱くあれど 教会は聖徒の群れ、主によりひとつとなる。ハレルヤ。 たたかい激しくとも かちうたは響きわたり、力はまた湧きいず。ハレルヤ。 夕日のかげるときに、つわものは戦いやめ、永遠の平和を得る。ハレルヤ。 されども栄えの日は 聖徒らのうえに昇る。かちうた高く歌え。ハレルヤ。 世界のすみずみより 聖徒らは声を上げる。「父・子・聖霊の主に、ハレルヤ、ハレルヤ」。
 信仰のつばさを、主よ、ください。み国の聖徒を仰ぐために。 嘆きも、恐れも、罪も消えて、聖徒は輝き、また、喜ぶ。 「どこから来たのか、その勝利は」。聖徒は答える、「主の十字架」と。 「小羊のあとを たどるうちに、み国の憩いを与えられた」。 栄光の指導者、主をたたえよう。み国への道を そなえた主を。
 すべての人に、み国への道は聖書に示されています。創世記3章のように、神の命じた道から逸れてしまうことを聖書は「堕落」として誰にも逃れることのできない罪だと語り継ぎます。また新約聖書でパウロは神の命令としての律法を守ることができない自分の弱さや醜さをしっかりと見つめ、「罪は限りなく邪悪なものであることが掟を通して示された」(ローマ7章)と語り、律法に頼ることの限界を語り継いでいます。そのような堕落した罪の闇に神は独り子イエスを光としてお遣わしになり、独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得られるようにしてくださったのに、悪を行うものは光を憎み、その行いが明るみに出るのを恐れて、光の方に来ない(ヨハネ福音書3章)と語り継ぎます。しかし詩編51篇は、はっきりと罪の告白をし、懺悔を歌い、罪を赦し咎をぬぐって下さいと祈っています。神に赦しを求め、主イエスによる贖いによってこそ私たちは救われるのです。

こどもたちへの小説教(このすばらしい世界)
https://youtu.be/TPqUN880hP4
宣教「我らの罪をゆるしたまえ」
https://youtu.be/0YNbxAmhIrY