宣教への招き(2023.11.26)

11月25日花③
宣教の招き     
詩編17編1節。主よ、正しい訴えを聞き、わたしの叫びに耳を傾け、祈りに耳を傾けて下さい…誰がこのような訴えを主に叫び不義とされないものがあるだろうか。人間の罪を一人身に負うた十字架のイエス一人をおいてはいまい。人間の罪との戦いにおいて無防備な彼は人類の咎の一斉射撃砲火を受け包囲され身動きできずただ主の立ち上がって下さるのを乞うばかりである。瞳のようにわたしを守りあなたの翼の陰に隠してください(8節)とは実に美しい真実な言葉である。その言葉をもって、御もとに隠れる人には豊かに食べ物をお与えください(14節)とあとに従う者たちを執り成すのである。私たちのための十字架と復活の主イエスその姿である。
詩編17篇には「正しい」という言葉が2度使われていた。この正しさを示すのが今日のエレミヤ書23章である。殊にも6節の「主は我らの救い」の「救い」とは、元のヘブライ語で、正しさ、正義、義なのである。エレミヤ書23章は彼=イエス・キリスト来臨の預言である。彼は「主(ヤハウエ)は我らの救い=義」と呼ばれるというのである。ヤハウエは我らの義、我らの救い。そうだ、アーメン、然り。
本当は神の御前に正しくなければ決して救われない。我らは完全に翼の陰にかばわれ守られ彼に一方的に愛していただかなくては救われない。しかし、瞳のように守られ翼の陰に隠され一方的に庇護される。それが主の贖いである。これが神の義と恵みである。そのようにしてのみ我らは救われる。彼こそ救い主である。
今日のエレミヤ書は、真の主人、主なる神をないがしろにし、国を荒らして民を踏みにじって顧みない代々にわたる世の王たちへの厳しい裁きを語る。その上で、王ダビデさえ王と崇める王の王、王ダビデをさえ義と恵みによって支配し救う、何というかもう次元の違った王の到来する日を告げている。先に述べた神の正しさと恵みを十字架の贖いと復活によって現された王キリスト・イエス様である。その王はもはや、この世的な、世の王ではあるまい。それが、今日、ポンテオ・ピラトに主イエスが語っていることであろう。普通、正しい人は私が真理だとは言わない。真理の前に一歩下がれだ。主はわたしが王、わたしが真理の王だ、とは言わない。

こどもたちへの小説教(旅は続く)
https://youtu.be/qpFUPZrZR-0
宣教「王の王、真理の王」
https://youtu.be/ztnbXcC_Dss