宣教への招き(2024.1.7)

1月7日花①

宣教の招き     
新年を迎えた。今年が良い年、平和が訪れますように、と願いつつ新年が明けた。2023年の後半は特にウクライナ、ミャンマーに続きパレスチナでも戦争が始まり、酷さを極め、アドベントに聖書が語られたように、世界は「暗闇と死の陰」(ルカ1:79)のさ中となった。でもその中にあっても、御言葉は輝き、御言葉の光はわたしたちを照らし続ける。御言葉はいつも世界と人間がどういうものであるか教え、自分自身の醜さや本当の姿を照らし出し、御言葉はそのとき、いつも人間を新たに作り変え、新たに生まれ変わらせる。聖霊の言葉だからだ。
いただいたクリスマスカードの中で「憎しみはいさかいを引き起こし、愛はすべての罪を覆う」(箴言10:12)を掲げた先輩がおられた。この御言葉を今噛み締め、私たちができることは何かを問いつつ歩んでいます。そして死に勝利されたイエス様がこの闇を終わりにしてくださることに希望を見い出しています。アルファでありオメガであるイエス・キリストに従って新しい年を歩んでいきたいですとあった。
暗闇、憎しみ、いさかいの今である。でも、その中でも、愛は全ての罪を覆う、というこの御言葉に、主イエス・キリストの愛の贖いと罪の赦しがあの十字架によって世に和解と平和をもたらし全てを覆ってくださっていることを思い起こし、今、これにならう歩みへ変えられることを示される。必ず人は赦しと和解へと歩みださなければ救われない。それを知らされた私たちは、死に勝利されたイエス様に従って、「主に従いゆくは」の賛美歌のように新年を歩んでいきたいものである。
本日の招詞もまた然りである。新年、新しいことをわたしは行う、というのではない。主イエスが来られた。イエス様が来られて、「まったく新しいこと」が始まっている、というのだ。それを悟らないか、と預言者は問う。それを主なる神がなさるので、恐れるな、あなたの上になさるのでよろこべ、と語る。イザヤ書42章から始まる主の僕の歌を自分たちへの御言葉として読んでほしい。御言葉はそのように神の言葉として日々私たちを新たにする。御言葉によって私たちは日々新しい。神は今日もとこしえまでも働かれ、今日も、神は生きて私どもを生かすのである。

こどもたちへの小説教(すくいぬしのおなまえ)
https://youtu.be/3YWCs0FQJ7E
宣教 「新しいいのちへ」
https://youtu.be/LdFVeUjox80