宣教への招き(2024.1.14)

1月13日花①

宣教の招き     
「どんどこどんどこ」も思えば50年以上歌われてきた。内容が似ている賛美歌はこども改定さんびか139。ハカナ ワクィタ サ イェス~イェスさまのようなかたはほかにはおられない、イェスさまに会いに行こう。すごい人だよ、イェス。みんなで いっしょに行こう。走っていこう クェセ クェセ(いっしょ いっしょ)  いっしょに聞こう クェセ クェセ 語り合おう クェセ クェセ イェスさまを真ん中に。ジンバブエの賛美歌だそうだ。今日の福音書の「証言を聞き、連れてこられ、イェスさまに出会い、イェスさまの弟子になる」様子をなんとも現わしている。  
今日の聖書でどうしても気になる言葉の数々、、、あなたを生かす御言葉です。
見よ、神の小羊 イェスさまはどんなに深い優しさを湛えていたことであろう。
それを聞いてイエスに従った 従う、は辞書では「同じ道を行く」ことから敷衍して、ついていく、従う、弟子となる、弟子である、愛着する、堅く結びつく、生死を共にする、の意味がある。だんだん、どんどこどんどこ、どこまでも・・・
何を求めているのか わたしたちへの言葉、ここから究極の対話が始まる。
どこに泊まっておられるのですか 泊まると訳されている言葉は、存在の位置を示し、どこにいるのですか?どこに生きているのですか?ともなる。留まる、接続表す。例の「つながっていなさい」のつながる、と同じ言葉で、これは神とつながるイエス、神と共にいる、神の領域にいるイエス様につながっていなさい、の意。
来なさい。そうすれば分かる 同様の「来て、見なさい」は、イエス様と出会った人がいてもたってもいられずに他者に呼びかけ一緒に行こう、と招く。ぜったい行って、見れば分かる。そしてイエス様に会えば、わかるから。絶対わかるから。
天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降り 創世記28:10以下をぜひ読んでください。ヤコブは旅の途上、野宿の一夜、夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており・・・主が傍らに立って語りかけ・・・彼は夢から覚めて言った、わたしは知らなかった。まことに主がこの場所におられる。― つまりイエス様が、天と地をつなぐ、その方がここにおられる、ということなのです。

宣教 「どんどこどんどこ歩いてゆけば」
https://youtu.be/3Wc6BmwPyx4