宣教への招き(2023.5.7)

5月7日花

宣教への招き     
詩編119編は176節からなり150編ある詩編の中でも最長です。22の段落はヘブライ語アルファベットの順に配列されており、それぞれ8節ずつあるその語頭もそのアルファベットになっています。内容は「律法(神の言葉)讃歌」と言われています。今日の9~16節でも8つの類似語で「律法」を言い換えています。「道」「御言葉」「戒め」「仰せ」「掟」「裁き」「定め」「命令」がそれです。すべての段落でそのようになっていますので、いやはや氾・律法主義。すべて世界は律法(神の言葉)で出来ている、いやむしろすべてが律法(神の言葉)の中にある、と言いたいのです。ユダヤ人は本当に律法大好き。律法・ラブ・命!なのです。
申命記6:6以下にあるように、今日、わたしが命じるこれらの言葉を心に留め(日毎の糧、パンのように、寺田注)、子どもたちに繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も(子どもに語り継ぎ、教え継ぎ、これにより共同体を作り、生活しているいつも、家でも外でも、生きているときはいつも、夜も昼も、寝ている時も!死んでしまっても、復活した後も!)これを語り聞かせなさい。という「律法」に対する応答が「律法讃歌」と言えるでしょう。最後の(タウ)の段には、律法によって生きるわたしには、あなたの口から出る御言葉は甘美な楽しみであり、その言葉であなたが助け救ってくれるので、わたしの魂は命を得、わたしの口か唇から賛美が溢れる。最後の節は、わたしが小羊のように失われ、迷うときどうかあなたのしもべを探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません。と主従関係を超えた固い絆、生死を超える愛慕を感じます。
さて、今日の福音はこの愛慕を呼び覚まします。イエス様は「わたしの掟」「わたしの命令」と言っていますけれども、イエス様とわたし、わたしたちとの関係性を主従を超えた「友」と呼んでくださっている。敵であったわたしどもをわたしのものと選んでくださっている。そうです、真理は自由を与える。また、わたしどももイエス様に愛慕をもって、「いつくしみ深き友よ」と呼んで、従えばよいのです。従うとは、イエス様の運転する車に乗って身を委ねることだ、それも自由だ。

こどもたちへの小説教(イースターからペンテコステ)
https://youtu.be/CsXygGzPcG0
宣教 「人間の自由」
https://youtu.be/2Iqofbnu0TI