奨励抄録(2023.9.17)

9月16日花②

奨励抄録       
被災地の実態と震災後の保育を学ぶ目的で今夏来原する和泉短大生の受け入れ準備中、被災当時のことを振り返り、当時励まされたのが本日の聖書箇所であった。
震災後、私は原町聖愛保育園は閉園してしまうと根拠もなく漠然と思ったが、パニックにも絶望にも陥ることなく、むしろ内から突き動かされるものがあった。
放射能被害のあった環境での園運営は迷いと葛藤の連続であったが、原町聖愛こども園の保育は未来が不透明な時を越えて途絶えることなく今日まで繋がってきた。
大地震に遭遇して、神様はなぜこのような未曾有の災害を起こされたのか知りたいと決心して保育者を辞めて牧師になる道を選んだ方がいた。私は、地震などは自然の摂理と理解して、神様なぜこのようなことをなどと、考えもしなかった。
 園で毎日、小島誠志先生の著書「朝の道しるべ 聖句断想 366日」によって祈っていたが、その日のみ言葉の解き明かしのタイトルは「裁き」であった。
もし神が地上の出来事のすべてを眺めておられるだけだとすれば希望はありません。一切のことは「なるようになる」だけであります。しかし、神は生きておられ、
裁きを行われます。ただその裁きは人の目に直ちにわかる形で行われるのではなく、
人の思いをはるかに超えた形で根源的に行われるのです。私たちの期待よりもはるかに正しく。神の裁きとは、神ご自身の秩序を立てられる御わざであります。
神の裁きは大いなる深淵。神様は地上で起こったことを眺めているだけではない。生きて働いてくださる。私は、「裁き」の言葉から成敗を連想して、解き明かしに触れて微かな期待さえ抱いた。それは「深淵」の文字から連想できるのは暗闇とか絶望などであって、希望や正しさなど思いもよらなかったことに起因する。しかし、7節の「主の慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ち、恵みの御業は山々のよう」のみ言葉を聞くと、「裁き」とは果てしなく限界も尽きることもなく、神様の御心にそって整えられていく意味だと理解できた。そしてそれは私たちの期待を超えた恵みであり、想像を超えた形や方法で。まさに震災からの歩みはこのようであった。

こどもたちへの小説教(ガリラヤの湖で)
https://youtu.be/HfdqbMhdjB8
奨励 「神さまの計画」遠藤美保子さん
https://youtu.be/MYVvoM1dNjE