宣教への招き(2023.10.1)

9月25日ぶどう

宣教の招き     
お話のタイトルはお分かりのように詩編73:25から取りました。
「地上であなたを愛していなければ、天で誰がわたしを助けてくれようか。」
本日の福音者の御言葉にピタリと符牒します。あなたとは勿論、神様のことです。地上で生きているうちに主なる神様を愛していないのに、どうして死後、天上であなたを神様が助けてくれるはずがあるか。
 金持ちとラザロのお話はイエス様のお話です。14節の金に執着するファリサイ派の人々が、神に祝福されているからこそ自分は裕福なのだ、自分はこんなに正しいと自己欺瞞のままふんぞりかえって自分の正しさを他人にみせびらかしている。当然、天国に入れると思っている。しかし、彼らは地上で眼の前の友を見捨てている(その友はキリストではないのか、キリストは彼のためにも死なれた…)。彼はラザロという名前まで知っているが、病で貧しい毎日会っている同胞を愛しはしない。それでいて自分は正しく律法と預言者を知っており、ゆえに神の子として永遠の家に迎えられると勘違いしている。そういう人に向けて語った主イエスのお話です。
 ラザロという名前の意味は「主は助けたまえり」だそうです。ラザロは地上ではただ貧しく病気で、正しいとか信仰深いとかではなかったが、天使によって、天上の宴会の席、アブラハムの懐に連れて行かれた。一方金持ちのほうは死後、天上に上げられずに死人の世界である陰府で地獄の炎に焼かれてさいなまれている。この表象は日本の死後の世界のイメージととても良く似ていますが、旧約聖書の伝統とは随分違いながらもイエス様をはじめ当時のイスラエルの人々が抱いていたイメージのようです。さて、この金持ちはなぜ陰府で悶え苦しんでいるのか。不正の富を用いて友を作らなかったからである。正しさと愛の律法(モーセと預言者)を行わなかったからである。彼は富(マンモン=頼りになるもの)を主とし、ラザロは神を主と頼んだ。天上の祝宴の席はそうした病人や貧者、罪人、異邦人で一杯である。
 ヨハネ4章にラザロの復活の記事がある。主イエスはあなたのためにも死んで復活された(コリ一15:3)。さあ、信じるものの幸いは誰のものだ。ハレルヤ!

本日のVIDEOは担当者不在のためお休みとなりました。
申し訳ありません。