宣教への招き(2023.11.19)

11月18日花③
宣教の招き     
本日の聖書日課から
ことに詩編105:38~44、今日の収穫感謝の礼拝にふさわしい御言葉です。
 エジプトは恐怖に襲われていたから 彼らが出ていくのを喜んだ。
 主は雲を広げて覆いとし 火をもって夜を照らされた。
 民が求めると、主はうずらをもたらし 天のパンをもって彼らを満足させられた。
 主が岩を開かれると、水がほとばしり 大河となって、乾いた地を流れた。
 主は聖なる言葉を御心に留め 僕アブラハムを御心に留められた。
 主は、御自分の民を喜びのうちに 選ばれた民を歓呼のうちに導き出された。
 主は彼らに諸国の土地を授け 多くの民の労苦の実りを継がせられた。
 「聖なる言葉」とは、主がアブラハムに約束された「わたしはあなたを大いなる国民として祝福し約束の土地を与える」という救いと祝福の約束を意味しています。
申命記26章は、この主の約束が成就しモーセによって導かれた主の民が、ついに約束の地に入り、初物の収穫感謝礼拝を捧げて信仰告白をした。そうした礼拝がなされた歴史を反映しています。その初物の実りはどんなに豊かだったことでしょう。
いずれにしても主なる神はモーセをリーダーとして、出エジプトと40年にわたる荒野の放浪を日々天からのパンをもって導き養い、共にいて守られたのでした。
 ヨハネによる福音書6章では、かつての荒れ野の40年間、神はモーセを通じて天からのパンを与え、日々共にあって守り、支えられたが、そのパンを食することでは命はやがて尽きてしまうこと、永遠の命には至らないことがイエス・キリストによって語られました。今や主イエス・キリストこそが「天からのパン」であり、「命のパン」として、神が与えて下さる「神のパン」であることが語られています。 
この主を信じて、受け入れ、朽ちるパンのために働くのではなく「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」という真実の生き方、確かな真実の道を歩ましょう。

宣教「天からのパン、神のパン、命のパン」
https://youtu.be/FQx-Wzb-YIw