宣教への招き(2024.3.3)

3月2日花②

宣教の招き     
ひどい話…わたしは天から降ってきた生きたパン。このパンで人は永遠に生きる。それは世を生かすわたしの肉である。この肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる・・・こうした主の言葉を聞いて、イエスは弟子たちがつぶやいているのに気づいたという。皆さんはどうだろうか。
人の子がもといた所に上る…これからイエスは十字架に「上げられ」栄光を受け、死人のうちより「上げられ」復活し、天に「上げられ」昇天し、父なる神の右に座する。ヨハネ版イエスの死と復活の予告であろう。
命を与えるのは肉ではなく霊である…イエスが語る言葉は霊であり、命である。そうだ、主イエスの言葉は暗闇に輝き人間を照らすまことの光。人を生かす永遠の命に至る命の言葉である。そもそも、初めからあり万物はこれによって成った、神ご自身ともいえる霊なる“言”である。皆さんはこれらを信じられるだろうか。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、…弟子とは師と共に歩くものなのです。同じ道を、最後まで、共に、即ち離れずに歩む者なのです。離れていったのはだれでしょうか。ユダ?ペトロ?いいえ人間は誰もがイエスのもとを離れ去ったのです。今や、十字架の前にひざまずき、悔い改めて、立ち帰るのみです。
あなたがたも離れていきたいか…誰もが罪の誘惑に負けるのです。しかしイエスは優しい。弟子として最後まで一緒に歩けるか、可能か?とは聞いていません。
主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか…ペトロは信仰告白しますが共観福音書では直後に主の受難を否定し「引き下がれサタン」と叱られます。続いてペトロ鶏鳴の裏切り、そして三度「わたしを愛するか」を重ねて思い出します。
わたしが選んだ…わたしにつながっていなさい。友よ、わたしが愛したように、互いに愛し合いなさい。今日もあなたへの声が聞こえないでしょうか。
あなたはどうしますか?ユダのようにではなく、ペトロのように、神の大きな赦しの前に一人になって、主イエスに立ち帰ろうではありませんか。

こどもたちへの小説教(うたってすすもう)
https://youtu.be/g75iqGnb6WY
宣教 「主に従いゆくは(いかによろこばしき)」
https://youtu.be/-LDkeqxycNc