宣教への招き(2024.3.31)イースター

3月30日花③

宣教の招き     
 先週日曜日棕梠主日の言い残し、~ピラトは尋ねた、「真理とは何か」。イエスは答えた、「わたしが真理であり、道であり、命である。」~さて、復活の日の朝だ。
 1.墓がからっぽだった。当時この地方の墓は土葬でも火葬でもなく横穴にイエス様を収めて大きな石で蓋をした。番兵もついて見張っていた。なのに週の初めの日マリアたちが墓を見に行くと天使が近寄ってきて墓の中を見せてくれるには、墓の中が空っぽだった。つまり蓋をされ閉じ込められていたのに主イエスはすでに復活していた。もう我々の背中側に移動しているかのようだ。2.マリアたちは急いで走って墓に言ったのではなかった。急いで墓から走りだしたのだ。番兵たちは恐ろしさから震えあがり、固まって死人のようになった。マリアたちは恐れながらも大いに喜んで急いで墓から走り出した。この出来事に理解以前だが解き放たれて急いで出かけた。理解以前だが、お告げの通りにとにかく急いで出かけた。3.天使のお告げはまず「恐れるな」、メッセージはいつもいつまでもかわらない。クリスマスの羊飼いたちへの喜びの知らせと同様、イエス様の、「小さき群れ尾、恐れるな」のお言葉と同じ響きだった。インマヌエル、アーメン、ハレルヤ!4.墓が空っぽとは、その中でイエス様は神様によみがえらされた、(その手で、抱き起こされた。立ち上がらされた)のだった。27:46の「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」のお答えなのだ。5.マリアたちは恐れながら喜んだ。我々も、そんな表情で急いで走って行こう。するとイエス様はニコニコしていつも通りに迎えてくれた。お会いできた。喜びと平安と喜びと安心でいっぱいになった。感謝でいっぱいになった。マリアたちはへたりこんだのかもしれない。4.主イエスは「立ち上がれ、この道を行け、わたしの兄弟たちにも伝えろ、ガリラヤで会える。わたしはともにある。ガリラヤからもう一度やってみろ。」5.われわれも、さあでかけよう。
 どこへ? とにかくさあ、恐れながらも喜んで、でかけよう。
 あなたは、どこへ? わたちたちは、どこへ? さあでかけよう。
こどもたちへの小説教(さいごのいっしゅうかん)
https://youtu.be/zz6Zx1PGdKw
宣教 「誰をさがしているのか」
https://youtu.be/164e3doLcYA