今週の説教要旨(2019. 6. 2)

せんだんの花

説教題「 キリストの昇天 」
マタイによる福音書28章16~20節

 復活節も終盤を迎え、「イエス様を信じることは復活のイエス・キリストを信じることだ」とい言い切ることがしっくりしてきた私たちですが、そのイエスは天に上げられてしまいます。主は40日間弟子たちに語り教え諭された後、昇天されてしまうのです。5月30日が昇天日でした。
その様子はマルコ16:19、使徒1:9~11にもありますが、ルカ24:50以下にこうあります。「イエスは、手を上げて祝福された。祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」使徒言行録のほうは、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」。私たちの目に見えなくなって天に上げられるのにも違いがあります。人間の場合は召天です。イエス様は昇天です。人は神様によって天に召されて御許で地上のすべての重荷を解かれて平安と休みをいただきます。イエス様は天に昇り、神の右に座して、再び来られる日に至るまで、いよいよお働きになるのです(使徒信条)。
さて、主イエスは昇天される前に弟子たちを目の前に懇々と諭されます。本日の礼拝の「招きの言葉」もそれで、いわゆる聖霊降臨の約束と証し人としての派遣命令です。そしてマタイ28章、本日の御言葉は、大宣教命令と呼ばれる主イエス・キリストの言葉です。その命令に伴って祝福がついてきます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」との約束です。
主イエスが私たちの目に見えなくなっても寂しくありません。なすべきこともあります。主はわたしたちと共におられます。主の言葉を大切に守り、主の言葉を行い、いそしむ我らと共に、イエス様はいつも共におられます。