宣教への招き(2023.6.18)

6月17日花②

宣教への招き   
1999年に4年サイクル主日聖書日課が発表され、各主日礼拝のために4箇所の聖書朗読箇所が示されている。また主日ごとにテーマが掲げられており本日のテーマが「キリストを信任する」だ。信認ではなく信任、それが信仰だ。それを今日の聖書がわたしたちに教えてくれている。十二年このかた出血の止まらない女が群衆の只中でイエスに近寄って来て、隠れてイエスの服の房に触れた。すると直ちに出血が止まった。イエスは群衆の面前で誰が触ったのかと見回し探し、問いただした。咎めようとしたのではない。女は震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまち癒やされた次第とを皆の前で話した。するとイエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して生きなさい。」
この方の服に触れさえすれば治してもらえると思ったのである(マタイ9:21)。マルコ6:56にも「村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。」とある。とはいえ、出血の女は律法によれば祭儀的に「不浄」である。(レビ記15章)人前に出る、他人に触れることは律法違反で断罪必定のところを顧みず、すべてを投げうって勇気ある決断の行動に出たのだった。
この行動の意味を考えるヒントは、民数記15:37~41(旧約239頁)である。「主はモーセに言われた。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青い紐をつけさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見つけるとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。」いいや、イエスの服のすそも房も元の言語では同じである。出血の女は、この方こそ、と文字通りすべてを賭けたのである。イエスを信任した。

こどもたちへの小説教(ノアの箱舟)
https://youtu.be/k7T1GCYVOHE
宣教 「キリストを信任する」
https://youtu.be/3FFjnWEvnkk