宣教への招き(2023.6.25)

6月24日花①

宣教への招き   
羊飼い(牧者)の話~イスラエルの民は世界史に遊牧民(牧羊者)として登場した。牛や羊を守り育てる牧畜は苦労が多く、旧約聖書にも飲ませる水の確保の争い、強盗や野獣などから羊の群れを危険覚悟で守った話が数多い。羊は一般的に、優しくおとなしく従順で無防備な性質のため、いつも配慮する者や監督する者を必要とした。それで、羊飼いと羊の間の密な関係が神と人間の関係に譬えられ、詩編23篇はその代表なのである。(他に創49:24やエゼキエル37:24以下など)
旧約聖書には良い羊飼いと悪い羊飼いとが比喩的に描かれている。良い羊飼いは「彼らを牧する牧者をわたしは立てる」(エレ23:3、エゼ34:23、ミカ5;1)のように、羊の持ち主である主人(神様)に立てられて主人に忠実に、そして小さな群れから国民という大きな群れにいたるまで彼らをよく守り導き養い生かす羊飼いである。悪い羊飼いは「牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者」(エレ23:1、エゼ34:4)で自分を養い託された羊の群れを放っておくので、主なる神ご自身が「わたしがわたしの群れを養い、失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」(エゼ34:15,16)と語られる。
ここに主イエス・キリストが「良い羊飼い」、「メシア王ダビデのような良い羊飼い」として登場する舞台が整う。しかし新約聖書における「良き羊飼い」である主イエスは、「羊(全人類)のために命を捨てる羊飼い」であり、全人類の罪の歴史から羊たちを、ご自身の命を贖いしろとして十字架の死を通して贖い、救い出し、解放する。いわば、十字架の御業を通して、良い羊飼いとして羊たち(全人類)を前述のように守り導き養い生かす。そして今日もこのわたしたちを詩編23篇の牧者のように生かす、「永遠の契約の血による大牧者」(ヘブル13:20)なのである。
主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。主はわれをみどりの野にふさせ、いこいの汀にともないたもう。主はわが魂を活かし、御名のゆえをもて、われを正しき道にみちびきたもう。たといわれ死のかげの谷をあゆむとも・・以前の讃美歌の交読文6である。いやあ詩篇23篇はどこから切っても、「いいな」、アーメンだ!

こどもたちへの小説教(ふしぎな風が)
https://youtu.be/6udQ6lAlU0U
宣教 「主はわが牧者なり」
https://youtu.be/pyxmFInykmo