宣教への招き(2023.7.9)

7月8日花①

宣教への招き   
外国人寄留者と孤児、寡婦はイスラエルの民の掟では社会的にもっとも惨めな立場に置かれることから特に大事にされなければならない人々であった。そうした中で、大預言者エリヤが寡婦の一人息子を生き返らせ(列王記上17章)、エリヤの弟子、神の人エリシャが愛くるしい年頃の一人息子を生き返らせて年老いた母の手に戻してやった(列王下4章)有名な故事は出色の印象である。実は今日の主イエスのお話の舞台であるナインは、そのエリシャの死者の甦りの物語の舞台であるシュネムという季節の美しい花が咲き乱れるイズレエル平原にある町にほど近いのである。ナインも城壁に囲まれたなかなかの町であった。ちなみにナインとはヘブライ語で「愛らしいもの」という意味である。それで、香り立つ雰囲気の中、人々が声を合わせて、騒ぎ立つのも頷けるである。「かつての大預言者が生き返って昔と同様、寡婦の息子を甦えらせてくれた」、「神はまたかつてのようにご自分の愛する者を訪れて暗闇と死の陰に座している者たちを曙の光のように照らしてくださった(ルカ1:78)」と。しかし、そもそもこの方はどなただろうか。そんな昔の大預言者などではない。主なる神様が、今生きて目の前で働いておられる。一言で言ってみよう、あなたの救い主だ。それは昔の彼らにとっての話でもさらさらない。
主イエスはご自分の生まれ育った町に来た福音第一声「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために主は私に油を注がれた。主が私を遣わされたのは、囚われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、成就した」と言い放ち、生まれ故郷では敬われなかった。しかし福音は、求める人、外国人、貧しい人、虐げられた人々の間に広がり、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知されている。」そして主イエスは十字架を覚悟してエルサレムへと歩を進める。さあどうする、救い主なる神が私のところに来てくださっている。

こどもたちへの小説教(イエスさまの行列)
https://youtu.be/3v9DUG_qat4
宣教 「救い主イエス様」
https://youtu.be/1xMp7Q0w64Q