今週の説教要旨(2018.5.27)

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説教題「 神の子として 」
ローマの信徒への手紙8章12~17節

創世記2章には、人間は、もともとは土の塵に過ぎないもので、神様の「命の息」によって、生きる者とされているということが書かれています。これは大切なことですが、人間はそのようなことはすぐに忘れてしまいます。「放蕩息子のたとえ」は、父親に財産の分け前を前渡ししてもらって旅に出た男が、そのお金を使って放蕩の限りを尽くし、とうとう食べる物にも困るようになります。この時に初めて、この男に改心が起ります。このお話は、土くれでしかない私たちが、神様のめぐみの力によって生かされているのだということを思い起こすことをたとえているのです。「思い起こす」力が、神様の聖霊の働きです。
さて、本日の聖書のテキストローマの信徒への手紙8章12節にあります、「肉に従って生きる」生き方は、14節の「神の霊によって導かれる」生き方と対比して述べられています。パウロの言う「肉」とは、神様に逆らう力のことです。「肉に従って生きる」人間は、本当に大切な神様のことを忘れて、自分勝手に生きる人間のことを言います。神様を無視して生きる生き方です。「肉に従う」生き方は、その時々によっていい時もあるかもしれませんが、結局滅んでしまいます。人間はもともとそうであった土くれに戻ってしまうのです。
それに対して、「神の霊の導き」によって生きるとは、自分の父である神様を思い出す生き方です。死ぬべき運命の私たちを生かしていただく生き方です。神の霊は、罪の奴隷の身分から私たちを救いだし、神様を「アッバ、父よ」と呼ぶことのできる関係に導き入れてくれます。こうして私たちはもう一度命をいただいて、「神の子」として生きることができるのです。