今週の説教要旨(2019. 11. 3)永眠者記念礼拝

11月3日花

説教題「 どこにいるのか 」
創世記 3章1節~15節
 本日の永眠者記念礼拝において、私たちは「どこにいるのか」との神様の御声を聞きます。天の愛する方々、信仰の先達は愛なる神の身許で安心してやすらいでおられます。そして「起きなさい」との神の一言を待っているのです。「起きる」とは「復活」のことです。それは復活の朝、彼らが目覚める永遠の朝です。その時までの永眠者の幸い、喜び、天の御国での信頼と平安はいかばかりでしょう。一方、私たちは今、どこにいるでしょうか。私たちは神様の御前でしっかりと生きているでしょうか。私たちは朽ちる肉体をもって喘いでいますが、私たちも、やがて永遠の朝には、朽ちることのない永遠の命にふさわしい体が与えられるのです。そして愛する者たち皆が、神の御前で主と共におることになるのです。その時に至るまで、私たちは励みましょう。永遠の命による希望をいただいて主の体なる教会を建て上げましょう。
「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」(Ⅰテサ4章)
永眠者記念礼拝は、原町教会120年目を歩む道のりの中で、私たちに永遠の救いを証された信仰の先達を思い起すときです。先達は身をもって救いへの信頼と真実を証されました。彼らは復活のキリストの栄光の御顔の輝きに照らされて輝き、今もそのお顔は主の御光によって照り輝いておられます。教会の歴史は、先達のそうした信頼と真実に心打たれ、聖霊によって継承した人々によって紡がれてきました。今や私たちが、その真実の心を引き継ぎ、救いの喜びと感謝をもって教会を守り、イエス・キリストの神の御愛を証しする番です。バトンを受けましょう。