宣教への招き(2022.2.6)

2月5日花

本日の宣教への招き
本日の主日礼拝で共に聞く聖書の言葉から私が示されたことをいくつか記します。
詩編109:31 これは私どもと主イエス・キリストとの、今の現実の関係を告げる有り難い命の言葉です。乏しい人、それはその現実を知り感謝して生きている人、乏しいのに、神から豊かに恵まれている幸いな人であります。クリスチャンのこと、イエス・キリストの弟子、その人たちの事でありましょう。
弟子とは、師の後について共に生き、真似び学んで同じ道を歩む者です。私どもは良い弟子ではありませんが弟子には違いありません。主イエス様が選び、決めて、そうだ!と仰っています。今日の聖書はそのことを告げる福音です!
3章31節から4章34節を読むと、イエスは人々に数々の譬え(たとえ)で語り、イエスが語るのは神の国の譬えであり、譬えの趣旨はただ一つ、神の国の現実だと分かります。人々はイエスを中心にした同心円上に、中心に近い方から「十二弟子」がおり、その周りに「周りの人々」がいる。そしてその外側に「外の人々」がいます。10節から32節はイエスが「十二弟子と周りの人々」に語っておられ今日の聖書はそれらの人々を「外の人々」とは違う「御自分の弟子たち」と言っているのです。
神の国の譬えの「譬え」とはイエスが使ったヘブライ語では「謎」をも指し、神の国の「秘密」の現実を保つものです。譬えは、弟子には神の国の秘密を開き示し、外の人には閉ざすという両面の機能があります。厳しいです。しかし弟子には、ひそかな形で、すべてを!イエスご自身が!説き明かしてくださるのです(34節)。
イエス様は何を聞いているかに注意しなさいと言われます(24節)。原文では何を聞いているかを見よ、です。私たちが聞いているのは、命の言葉です。救いの言葉です。今、これを語る、神の言そのものである、イエス様を、見よ!ということです。イエス・キリストについて行くと決め、イエスの言葉に答えると決めたと人々には、主イエスご自身がすべて教えてくれるのです。その人は弟子なのです。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。分かるより信じることです。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/8F0lZfjmyDU
宣教「譬え・謎・秘密」
https://youtu.be/w73002SHCI8